判断力批判

カントの、純粋理性批判、実践理性批判に続く、三批判書と言われる三冊の最後の本になります。

人が美的判断をする時、どのような意識や判断力を用いているのか。それらは何に起因するのかなどを徹底的に解説した本です。

 

個人的に関心のある点だけついばむと

・本人にとって感覚的満足を快適、快い物が美、客観的価値の認められる物が善となる。

・美とは概念を用いずに普遍的適意の対象として表象されるところのもので、それは個人的な感覚でなく普遍妥当的判断である。

・理想は、道徳的な理念など、理性による善とから生まれる物であるので、理想的な美と言う物はあり得ない。

・崇高とは、他と比較して、如何なる感官をも超越する心を示す物である。

・快は分量によってしか説明され得ないが、美は性質を必要とする。

などがありました。

 

この他、詩や音楽、自然など、あらゆる美学的な判断を解説しています。

大半は、それらの根拠や厳格な説明についてページが費やされていて、徹底的な論考がつまっているので、とても一言にまとめる事などは出来ない内容になっています。

 

ただ、この中で基本の基本となっている、快感と、美と、善は異なると言う点は、日々考えていた、または問題として抱えていた点です。

 

カントは只管に、緻密に、判断力を分析していくのみで快と善のどちらが上位であるとか、どうすべきなどの主観的な感情や方向性などを排除しています。

勿論、哲学や論理に対して最も忠実であろうとすればそうなるとは思うのですが。

やはり個人的、感情的には、只管安楽を求める暮らしよりも向上心や正しい事に向かう生き方でありたい。美や善が、誰にも美や善と認識される世界であって欲しい。

これは恐るべき事に18世紀の本なので、宗教や体制の大きな違いがあって現代とは違う訳ですが、ポストモダニズム、資本主義民主主義の浸透しきった我々の暮らしでは、鑑賞者各々が抱える判断力の責任がとても大きい。美と善の判断が出来ず、ただ快感だけが消費され、美や善が淘汰されていくのではと、日々懸念しています。

工房からの風

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明日から。いよいよいよ。始まります。
風人という名前で、お手伝いしています。
それと、豆箒のワークショップ。

と言うと、さらっとしていますが、
もしかしたら、ほうきを作り始めてから一番、喜んでいるかも知れない。

日々色々考えたり、思い直したりしながら暮らしてますが、ずっと一貫している事に、人の豊かさや喜びを願っていると言う事があります。
勿論、それはただの快楽ではないから、届かない何かを探求する事だったり、矛盾に向き合う事だったり、その中で確実な物を掴む事だったり、そう言う動きの中に幸せや豊かさがあると思っている。

幸せは一時的なハレの場でなく、日常で血になり肉となっている場所にあると思う。

そこで、暮らしに向き合おう。世界を垣間見る事の道具に携わりたい。と、なんだか遠回りをして今の仕事についている。
自分が出来る事で最適と考えたのが、ほうきだっただけで、多分自分の考える方向に世界を動かす方法はたくさんあって、その中の方法の大きな一つに、本イベントもあると(勝手ながらも)思っています。

実際、色んな下準備だったり、誘導だったり、地道な事が多いと思うのですが、これは自分にとって、何より幸せだったりします。思っている事が、ブレずに形になるなんて、そうそうないです。それにとても精度の高い輪郭で、予想を超える形で現れたりしてくれます。

つぶやく程度でも良かったのですが、跡を残したいと思って書いたら、思うより長くなってしまった…!

人それぞれ、色んな考え、方向があるとは思いますが、大変な量の、熱意と感動が詰まっている事は間違いが無いイベントです。
皆様の御来場、お待ちしております。

(明日始発なので早く寝ます)

9月の展示、思いもろもろ

「かながわ名産展」 実演販売
日程:9月4日(水)~9日(月)
時間:10:00~20:00 ※最終日は18:00まで、
会場:横浜高島屋 8階催会場

手仕事出張所
会期: 9月4日(水)~9日(月)
時間: 12:00 – 18:00 (最終日は17:00まで)
会場: 庭音(仙台市青葉区)

 

が今日で終わります。
(おかげさまで好評です!ありがとうございます。)

殆どグループ(もしくは中津箒展なのですが)展なのですが、
9月は毎週なんだかんだ・・・!皆さまお世話になっております。

 

 

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・「国分寺ぶんぶん ウォーク」クラフトヴィレッジ
日程:9月15日(日) ~9月16日(月)
時間:11:00~19:00
会場:国分寺 真福寺公園
昨年に引き続き!オガサワラ先輩とご一緒します。
母校も近いし、近くのねじまき雲さんと言うカフェもとても好きで
皆さまぶんぶんウォークしてください

 

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・「美しいくらしの道具・手のしごと展
日程:9月19日(木) ~9月29日(日)
時間:10:00~16:00(日・祝日〜18:00)水曜定休
会場:青玄洞(札幌)
※私事ですが、私の妻の実家が近い!前回一緒に帰省して自転車で訪問しました
とても長く営まれている器、手仕事のお店です。

 

 

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「くらしのmoto市」 
日程:9月29日(日)
時間:10:00~16:00
会場:町田市忠生2-5-33 東向山簗田寺
ワークショップは満席になりました・・・!すみません

 

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吉田慎司×玉蜜 展
日程:9月25日(水) ~09月30日(月)
時間:12:00~19:00
会場:poool(吉祥寺)

昨年に引き続き!
玉蜜さん、とても素敵です。
pooolさん、内装良く変わるんですよね・・・笑
毎回楽しい。笑

 

忙しくてありがたくありがたく、も、パン教室に行けなくて悲しい
(家でつくってる)

 

■最近思ってる事

ありがたい事に、秋は繁忙期で・・・色々お世話になっております。
基本的に、お話を戴いたら出来るだけ全部お受けしたい!と思っているのです。
たくさんお話戴いて、ばたばたして、やっぱり余裕ある時と比べると多少準備不足な面や、ご迷惑をかける事も多々あるかと思います。

自分の実力や見せ方どうこうは別として、隙が生まれてしまう(またその可能性)としたら凄く悲しい。
ギャラリーや企画者の方からしても、作り手と同等に本気で、毎回心血を注いでる方ばかりで、その展示は一度きりで。
少しでも危険や無理があったら避けるべきと言うのは責任ある作り手としては基本だと思うのですが、
できるだけ多く、たくさんの方に触れて戴きたい、繋がりたい。と言う思いが個人的には前面にあって、その為にばたばたしています。

有名になりたいとか、いっぱい売りたいとかは、多分人より少な目です。
人に伝えたいと言う事が最優先にあります。
(そもそも作って暮らす気も無くて、良い仕事して、出来る事やって、それで駄目なら心中しよう位の感じで始めたせいもあるかも知れません。)

長くなるので具体的には書きませんが、伝えたい事はどういう精度で伝わるかと言う問題も感じます。
ロランバルトなどが書いていますが、作物は自律する物で、主観的な判断がなされて、伝えようとして皆が共通項を得ると言うのは凄く難しい。(同じ赤色を出したって、無数の感想や印象がある。作物にはそう言う要素が無数にある。コントロールなんて出来ないんじゃないかとも思ってしまう。)

ただ、美しい物や暮らしと言うものがあるとしたら、それは人が共通して認めて初めて美の形を成す。
実践できる形があるとしたら、多くの人に触れて、話して、塑形して、出来上がって行くのだと思っています。
(だからまだ、自分は彫刻してるとも思ってるんだな)
自分なりに考えている形があって、その方法で誠意が示たらと、思っている次第…

ごちゃごちゃ言ってますが、要は頑張ります!(大変な乱筆)と言う事で、楽しんで、日々過ごしております。
急に涼しくなりまして・・・皆さま体調お気をつけてお過ごしくださいね。

草々

 

精神分析の四基本概念

ジャックラカンの講義を記録した、代表的な本です。
ラカンは講義録が多く、あまり本は残していない様です。

 

フロイトの「無意識」「反復」「転移」「欲動」を発展させ、幅広い内容に言及しています。
生徒を啓蒙する為か、何だかも回りくどい様な言い回しも多くある本ですが、大変な密度と精確さが詰まっており、
とても興味深い本です。

どの理論の中でも、主体は他者(または物)を通して確認されると言う事が基本になっています。
欲望や意志は、他者に反射され、帰ってくる際に形となる。

また、シニフィアン(表象内容)・シニフィエ(意味内容)と言う考え方も代表的です。
「私は嘘をつく」と言った時、これは嘘をつくと予め言っているので発言は矛盾すると言えるかも知れませんが、
「嘘をつく」と言う「私」は表象であるだけで、内容と表象は分離する別々の物だと言う事です。

色んな物が、「他者」との関連で説明されます。欲望は他者の欲望であるなどとも言いますが、それは、
周囲の様々な物で主体が現れる中で、欲望が発生すると言う意味(だと思われます)

 

などなど、元々は読む本のなかにしばしばラカンが出てくるもので、参考に読んでみたのですが考える事もたくさんありました。
物を作って、伝えるとか表現とか何たら言っていると、自分が発して人を納得させる様な方向が強くなりますが、物を見ると言う事はその物に見られていると言う事で、そこに初めて自分の視線が確立される。
時代や空気に敏感である事は大事ですが、そもそも自分の考える事や発すること自体が他者からの視線を通して作られている。

大きく束にしてしまえば、伝わった。と思える様な反応が(表象の方が良いでしょうか)向かいから返って来た時、初めて自分が言葉を
発した事になる。(対象がなければ、それがやまびこや反響だとしても何も無いと形にはならないですものね)

より謙虚に、対外的な関係には自覚的でありたいと思いました。

時枝誠記「国語学言論」

西洋言語学でベーシックなソシュールの言語理論を批判し、言語過程説と言う理論を提唱した本です。
言語学、記号論、とは言え、厳格で精緻な展開は徹底した哲学が感じられて、とてもエキサイティング。

ものづくりと記号論と言うのも面白いなと思って感想をまとめました。

□□□□□□□□本のまとめ□□□□□□□□

言語過程観に対する、言語本質観とは、言葉に概念が当てこまれていて、それを引き出して我々が使用していると言う事です。しかし時枝さんに言わせると言語の本質は「概念ではなくして主体の概念作用にある」。
言語が成立するのは「言語それ自身が媒体としての職能を有するからではなく-中略-同一概念を想起するし得る習慣性が万人の間に成立しているからである」とあります。

辞書を引けば言葉の意味は載っていますが、それを組み合わせれば言語の理解に直結するかというとそうではない。
例えば
「大黒柱が倒れた」と言った時、本当に柱が倒れたのか、それとも家の働き手が倒れたのか判断出来ない。「山」と言った時、それが自然の山なのか危機的な状況の事なのか、もしかしたら誰かのあだ名かも知れない。けれども、我々は会話を成り立たせる事が出来る。これは、言葉が道具としてではなく、習慣によって成り立っているからではないか。と言う話です。

その他の例だと、言語は歴史の中で風化して、変遷していく岩ではなく、多くの人に描かれ形を変えていく絵画と言う例えもありました。

言語過程説自体はこれ位ですが、その後も各論で音声、文字、文法など、次々に紐解いてあります。

□□□□□□□□□□以上本のまとめ□□□□□□□□□□

個人的な感想として、言語に関しても面白いですし、ものを表現する仕事としても、大いに繋がる話だなぁとは思いました。
時枝さんの批判するソシュールに依れば、言葉はシニフィアンとシニフィエ(表現と内容。極端に言えば、標語の「ダメ絶対」の意味がシニフィアン、フォントや文字そのものがシニフィエと言う様な)などと言いますが、意味なんて人や環境で幾らでも変わってしまう。

赤色を見た時、女性らしいと思うか男性らしいと思うか、それとも政治的と思うかなど、本当に何も決まっている事なんか無くて、それでもある程度の人数の人とは感じ方を同じく出来てしまう。本当に、全て伝達行為と言うのは習慣で成り立っていると思う。
(例えば原発と言う言葉だって、出来た頃は夢に溢れた装置の極みだったかと思うのです)

漆を見て、かっこいいと思うか古臭いと思うか懐かしいと思うか。丸い形を見て可愛らしいと思うか単調と思うかありがちと思うか。
そう言う無数の要素と習慣、積み重ねて来た歴史と、血肉となった習慣が合わさって、一つの言葉になっているんだなと思います。
そんなの、全部根拠を理論付けて行くなど途方も無いので、表現活動では直感が大きな力を持つのだとも思いました。

時代も環境も、こうして行く内にみるみる変化して行くし、自分が作ったものの意味も刻々と変化している。常に疑って、感じ取って、信じて行かねば。と言う感想でした。

(また、余談になりますが、単語に関する話の中で、そもそも日本語において所謂単語として括る事が困難と言う話があります。この本と言った時、「こ」は独立して使えないだけで単語ではないか。ヒノキ、クスノキ、など一単語であるが元来は別の言葉である。など、疑問の余地のある例が多々あります。その為、この本では詞と辞と言う分類で文法を解説していて、日本語に比べると印欧語は詞辞が結合した文節に近いと言う記述があります。そもそも、日本語は主語述語などで分けられないと言う話も良く本には載っていますが、何の疑問もなく学校でそう習うのは凄い事態だなと思います。)

 

1940年の本。全く古びない事に感動。

構造と力

やたら小難しそうな事を、しかも恐ろしく乱暴に無理やりにまとめているので、まとめ以降を読んだ方が楽しいかも知れません。

□□□□□構造と力□□□□□

自分と同い年くらいの本ですが、当時、難解な内容の割にベストセラーになったそうです。ニューアカと言うやつか。

この本では、象徴秩序と言う物と、その作用が見えてくると、概ね内容は分かると言う感じかと思いました。

まず、人間は過剰であると言う事から始まります。人間は自然の物でありながら、動物の様に欲求のまま生きる事は出来ない。自分や仲間を傷つけたり、わざと自分を苦しめたり、規制をかけたりする。ジェノサイドもある。シェーラーは、「おのれの衝動不満足が衝動満足を超過して絶えず過剰である様な(精神的)存在者」を人間としているそうです。

贈与の一撃と言う言葉があって、純粋な贈与ではなく、人に何かして貰うと、様々な環境や関係から、利益だけでなく恩義や義理も貰う様になる。数えきれない人間関係と繋がりで混沌となった社会で、それら過剰を一身に受け止める物が出てくる。それが象徴秩序となる。それが、原始社会では祝祭であったり、王政であったりする。(超コード化)

更に貨幣経済などになると、脱コードと言って、どこに中心点があるか分からない事になる。
分かりやすい例だと、
「前近代」ある教室に子ども達がいて、正面に監督がいる。授業中は我慢しているが、休み時間になると多いに騒ぎ、生き生きとしている。
「近代」同じ広さの教室だが、監督の姿は見えない。しかし背後にいるのが分かる。休み時間でも授業中でも、いるかいないか分からないので、結果的に子ども一人一人の内に監督が存在する様になる。自由がある故に、休み時間も遊べなくなる。

と言う様な例があります。
クラインのツボだとか色んな例があげられているのですが、全体を監視、規制する物が個々に内在化して、それがまた全体を監視すると言う循環する状態です。(脱コード)
□□□□□まとめ終わり□□□□□

こう言う、各々を監視する文脈と構造の問題は、とても気にしている問題です。工芸に於いて、全体を統率する物があった状態と言うのは、(例えば宗教であったり王政であったりパトロンであったりする)とても指針が見えやすく、上昇しやすい状態に思う。
我々の祖父母くらいだと、その秩序が解体される前の余韻があって、無条件に良いとされるもの(例えば桐タンスとか藍染だとか漆の椀。勿論今も素晴らしいものだけれど)がある。

勿論、人は向上心を持っている限り向上していると思う。けれど、経済を大きく動かすと経営に成功していると言うだけで、それは価値とはまた別の話であって。それ以外の基準は本当に闇雲な気がしています。
この本にもあった通り、または多くの哲学者が言う様に、我々の志向を一つにする物は存在しない。しかし、作る事で、それを描く事で、最大公約数の人を幸せに、豊かに出来ると信ずる限りは大きな答えがあると信じたい。

とりあえず、古くからあり、合理性に純化した道具はそれに近づいていると思っているのですが。

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パン

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そういえば、4月から何気にパン教室に通ってました。(また9月からも通う)
先生超かっこいいです

きっかけは、コーヒーを勉強しようと思ってやっていた所、パンも必要かなと何となく触れたら大変感動しまして。すっかりパン作り好きです。

絵画や彫刻での体感なんだけど、やらないと見えない地平って沢山ありますよね。

コーヒーの評価方法の基本的な方法で、酸や甘みを強弱でなく質で見ると言う事があります。

だから、数字で出すのでは無く、たくさん言葉を作らないといけないのですが、凄く豊かな事だなって思う。

広げて考えれば生き方や時間に関してもそうで、労働時間が短いとか休みが長いとかでは無くて、抱えている時間の質や奥行が大切だなって思う。

甘みは小さくてすぐ消えるけれど、鮮やかで凄く印象に残る、などのコーヒーも良いですよね。

お茶も好きだし、好きと思われもするんだけれど、ハレとケと言いますか。良いコーヒーとパンはお茶よりも非日常と言う感じがあって、興味が高まっているんだと思う。
(お国にもよる部分も多いと思います。)

凄く内面的な感じがして

パンも、がちゃがちゃしたのより、リーンで粉や酵母の味が判るものが好きだな。

我々の仕事も、ただ道具とかブランドを売るんではなくで、時間の質を交換しているんだと思うんだよね。
(個人的には)
やっぱり、強弱じゃないから肥沃に、対話しながらやっていく物かなって思う。

引き続き展示も開催中です。(前投稿参照)

読書―民約論

社会の時間に習った時は、社会契約論でした。

気になってはいたのですが、見ておらず。素敵な古本を見つけたので購入してしまいました。

民主主義がまだ一般的でない頃、フランスで出版された政治の在り方に関する本です。

話の中心になるのは、一般意思と言う考え方です。権力者でもなく、欲望に任せた民衆でなく、
人民を保護して自由を守れる、共有の認識を一般意思と言っていて、
それを権力者や法ではなく、社会全体と約束しようと言う話です。
(とてもざっくり)

当時は教会や王様が権力を奮っていた時代なので、大変に弾圧されたそうです。

いまは(一応)民主主義とされているし、少なくとも権力者から理不尽に搾取されたり傷つけられても良い
と言う社会にはなっていないので、歴史の教科書に出てくる程度、と言う感じかも知れませんが、
いま読んでも、ハッとする事が多々あります。

これはルソーが理想的な社会ってこうなんじゃないか。と、18世紀に考えた世界な訳ですが、
今でも、全然届かない。

「一般意思が常に正しいのは、彼らが各個人を自分の事であると思い、全体の為に一票を投じながらも自己の
事を考えているから」
「民衆は自己の利益を欲しながらも、それが何たるかを知らない」
「一般意思は不変であり無垢である」

などなど、みんながみんなの事を考えて、不幸が無い様に暮らす、など、出来たら素晴らしいと思う。
作る事でも、買う事でも、人と関わる事でも。
どこかが潤ったら誰かが貧しくなったり、遠い所で人が悲しんでいたり。

色んな情報がある今こそ、そう言う事を考えるには一番良い時代なんじゃないかと思う。

今の自分たちの暮らしと言うのは世界的に見ても、歴史的に見ても、とても恵まれている筈だと
思う。(少なくとも、物質的な事や命の安全に関する事では確実に)

多少自分が苦労しても、人が豊かになる様な生き方がいいな。
と言うのは、この頃から変わらないんじゃないかと思う。

※あと解説では、ルソーが正義感に満ちた革命家と言うよりは、放蕩し続けて破天荒な所も楽しかったな

(2013年6月15日)

神は細部にと言いますが

HPも新しくしたので、色々綴ろうかと思います。

作るだけじゃなくて、いろいろやいやい言います。(ちゃんと続くかな)

 

Degi Hari

 

ミッドナイトインパリ、やっと観ました!(ウッディアレンすきです)

その中で、ピカソの描いた絵に対してこれは名作だとか、彼女の真の美しさでなく欲望のままに描いただけだとか議論をするシーンがあります。
そう言ったサロンであるとか議論の出来る仲間がいると言う事、またはその文化的な環境と言うのは凄く羨ましいな。と思う反面、細かい話って苦手だな。と、思いました。
(前から薄々気づいてはいた)

 

似たような場面は多々あって、この彫刻のラインがたまらんとか、~の微妙な緩急がどんな心象を表しているとも取れる、など、所謂耽美とか吟味と言う様な事は素晴らしいと思っています。
でも何だか受け入れない。
多分理由は、そう言った細かい議論と言うのはその吟味する物を素晴らしくて揺るぎない物と、丸っと肯定した先にある事です。

自分の見える表現の界隈と言うのは、自国の伝統や外来のもの、合わさった物やそのフェイクやコピーなど、恐ろしい程に混沌としていて、何を受け入れたら分からない物だと思っています。

フランス人が自国の芸術についてマニアックに(そしてインテリジェンスに)議論するのは素晴らしいし、日本でも庭園やら歌舞伎やら無数にあるんですが、ものづくりに関して、例えば伝統工芸なども、それってみんな好きなの?とか使ってる?とか危うい事など、色々感じています。どのジャンルに対してもね。

 

細かい議論の前に、大きな道として右に行くか左に行くか(もしかしたら斜め上か)など、指針になる部分をブレずに、定める事が先かなって、思っている。作り方とか、素材とか。それだけ決めても何もならない位、今の世界は広いと、感じています。
(細部は手を抜いている訳ではないですが)

自分にに決断力や知識が無いだけかも知れないですね。でも。根本的に考えたい。

思ったより長くなってしまった。
百貨店などに出てると色々考えちゃうよね

 

 

などなど、いまは百貨店催事中です。たまに実演してます。
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・創作工房展 ~暮らしまわりのものづくり~
日時: 6月12日(水)~18日(火)
時間:10:00~20:30 日曜は~20時、最終日は~17時
場所:新宿小田急百貨店 本館8階 中央エスカレーター前

・日本の手仕事 中津箒フェア
日時: 6月26日(水)~7月2日(火)
時間:10:00~19:00 最終日は~  :
場所:日本橋三越
日本橋三越本店 本館5階 リミックススタイル内 イベントスペース

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青森!

A-line 2013
日時:2013年7月6日(土曜日) – 10:00~17:00 (搬入/6:00〜9:00)
2013年7月7日(日曜日) – 9:00~17:00(搬出/ 17:00~18:30)
場所:モヤヒルズ オートキャンプ場
※雨天決行

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それから、「手仕事出張所」に参加させて戴きます!
東北巡回。こんなの初めて。どうなるかしら・・・!

 

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「カタチプロジェクト 手仕事出張所」
http://katachiproject.web.fc2.com/

●山形県
場所:tokinoniwa
HP:http://www.tokinoniwa.com/
会期: 6/28(金)~7/2(火)

●福島県
場所:biji
HP:http://www.biji-web.com/index.html
会期:7/13(土)~21(日)

などなど続々

よろしくお願い致します。

森道市場

愛知の森、道、市場 行ってきました。
二回前くらいにお話し戴いていたのですが、なかなか行けず・・・とても楽しかったです。
場所が、とても面白いんですよね。
会場外含めて楽しかったので、たまには時系列で載せてみます。
最近、トイカメラて撮ってる。

初日は、雨で大変でしたが、来てくれる方は来て下さるもので・・・!

雨でトマトが美味しい感じでした。

犬も、濡れています。(本人は全然気にしていない模様)

会場は、山と言うか庭と言うか、木造の建物はごちゃごちゃあるんだけど昔からあるジンギスカン屋さんなんですって。
嘗て温泉地(途中、湯量が減ったのかな?)として観光バスががんがん来ていて、それは凄かった様。
今は減ったけれど、旅館もとてもたくさんあったそうです。
と言う感じの旅館のゲームセンター


雑貨が流行ってるとか何とか言うけど、地元のおじちゃん達にはなかなか分からない様で・・・
箒屋って言うとすぐ伝わって良かったです。
何か分からないけれど、イベントをやって人がたくさん来ているらしい。
そりゃあこの辺りも昔は凄かったんだ。とか、
地元の皆さんも、居酒屋でざわざわしていました。
凄く、楽しい事になりそうだな。って、久しぶりにドキドキした。
居酒屋のおじちゃんも、マスターも渋い方で、ちょっとくだ巻いてたけど楽しかった。
「頑張れよ!じゃあ明日観に行くよ!」
みたいな感じだったけど、チケットほぼ完売だそうで、少し心苦しく店を出た。



次の日は暑いくらいの晴天でした。
ライブも、好きな方ばかりでしたよ。
ジンギスカン屋さんのおばちゃんが、さばさばしてて愛さずにはいられない。
会場は、ゆっくり散策してたら何時間か経っちゃうくらい豊富でした。満足満足。
次回は、自分でも分からなくなるくらいですが、
18日からヒナタノオトさんに作品を置いて貰ったり、
19日に地元石神井での井のいち
25日に西荻のりげんどうさんでワークショップをします。(展示は15日から)
このシーズンイベントなど多彩で、色んな方の本気が槍の様に降ってきて、元気になります。
嘘は返せない方ばかり・・・!いい仕事したい