次回の出展 と、美術と工芸について最近思っていること

 

■■■■■■■次回出展のお知らせ■■■■■■■
・「初夏の色」
日時:5月18日(木)~23日(火)
時間:11:00~ 18:00(最終日17時)
場所:space koh

・「ギャラリー青らんぎワークショップ」
日時 5月16日(火)①午前10:00〜②午後1:00~
予約:青らんぎ 042-345-3532

Workshop & Pop-up store展【てまえみそ】
日時:4月27日~5月7日
場所:Diginner Gallery Workshop

 

■中津箒みんなでの出展ですが、久しぶりに出向きます。楽しみ。■

・「井のいち
日時:5月21日(日)10:00~ 16:00雨天決行
場所:石神井氷川神社

・「東京蚤の市
日時:5月13日(土)9:30 ~18:00
5月14日(日)9:00~ 17:00
場所:東京オーヴァル京王閣
※入場料500円(小学生までは無料)

 

久々の投稿。

人に会うと、最近どう?なんて聞かれたりするけど、職人仕事に関して言えばかなり単調なので、変わらずやってます。みたいな返ししかなかったりする。

(勿論、細かい変化、あそこの縛り方が・・・とか、色々あるんだけど、口頭でほとんど伝わらないし、あまりにマニアックなので、社交辞令的に返すにはあまりに仔細。なのでそう返す。)

 

最近は、美術史、というか、そのマッチョさについてよく思いを馳せています。

文化の力関係と言いますか・・・具体的には、フェミニズムの本を読んだり、オリエンタリズムの本(というかザイードですが)を読んだり、日本の先住民の本(というかアイヌですが)を読んだり。短歌でも、女歌の話は、結構重要なトピックです。

 

美術や工芸が、マッチョな文脈にあるっていうのは、多分学生の頃からこじらせている。自分の好きなドストエフスキー、カラマーゾフの兄弟に出てくるゾシマ長老の「全人類の幸福と調和」という言葉が個人的なモットーで、芸術全般、世界の幸せの為にあると信じている。ので、キリスト教とか仏教、神道、色々あるけれど、それらが何をしてきたか、っていうのは気にしている。特にキリスト教は、一時期世界のほとんどを領土にしていて、西洋美術はその上に育ってきたので、かなり色んなものを孕んできたように思う。勿論、いま一般的に美術と言われているものは西洋美術がメインストリームで、人類のすごい財産で、自分も大好きなんだけれど、貴族の文化がベースにある。と多く感じている。

 

日本で美術や工芸という単語が今の様に使われ始めたのは明治以降で、外国との対比が下敷きにある。その前には、茶道とか、画とか書とか、色んなものがごっちゃになっていた。どこから日本の美術か、というのも難しいけれど、特徴的な文化、茶道や(時代は違うけれど)民藝などは遡ると禅に繋がる。どちらも、始めたのは西洋同様に富裕層だけれど、ベクトルとしては真逆の部分が好きです。どんどん足していく、足し算していくよりはどんどん引き算していったり、朝鮮の田舎の職人の器がすごいんじゃない?とか、どんどんローカルに、民衆のもの、素朴なものにむしろ美しさを見出した点、そのほとんどが建具や器など、道具や生活に繋がっていた点、など、誰もが幸せに、という事を考えると、日本式の方が良いなぁ、というのが最近の考えでした。

 

ただ、それも更に入れ子状になっている、と、という解釈もあって(池田忍さんなどですが)日本は、西洋に対しては繊細さや細やかさなど、たおやめぶりを発揮するのに、国内では、結局男の強権的な文化じゃないかみたいな(すごく乱暴な言い方)だったり、近しい所では北海道の木彫り熊がおみやげの工芸になっているけれど、結局アイヌを支配して狩猟をとりあげて日本の経済にはめ込んだ結果だったりする。

ただ、自分の信念にしたがう限りは、金持ちの鑑賞物や大きな力になるよりは、出来るだけ普通の人の用途に適う、便利で、環境や文化に対してマッチョでない形でありたいと思っています。作る物は、別に変わらないんですけどね。

 

マッチョって、対義語でて来なかったんだけど、ないんだろうか・・・座右の銘は?って言われたら、それにしたいんだけど。