【雑記】言葉が届かない、分断する世界

珍しく雑誌を買いました!日経サイエンス4月号。

なんでヘイトとか保護主義とか炎上とか、人が対立するんだろう。なかなか伝えたいことって伝わらないんだろう…

というのはずっとあったのだけれど、如何に人が合理的・科学的な判断が出来なくなるか。という事をデータで解析した記事があったので読んだ。

これは調査としては、福島の原発関連のツイートを対象にしていて、最初の3ヶ月くらいは科学者の客観的な情報も流れていたけれど、1年後くらいには、陰謀論や反原発など、固定したクラスタにネットワークが分かれて固定化して、議論がなくなる。という話です。

人が合理的に判断を出来なくなる要素を雑にまとめると、

ヒューリスティック…時間や余裕がないと、権力者やマジョリティの意見を鵜呑みにしてしまう。みんないってたから本当だろう!テレビの人が言ってたから本当だろう!というやつですね。

確証バイアス…元々の自分の意見に合わせた情報ばかり拾ったり、好都合な解釈をする。

例えば政府が悪い!とか、移民が悪い!と先に思っていると、それを無意識に補強するという

社会的外圧…社会的な関係だとか、物理的な不利益などがあると、都合の良い方に解釈する。例えば村八分になる恐れがあるとすると、判断力も、そちらに寄っていくそうです。(難しいとこですが)

損失回避バイアス…客観的な利得より、損失を確定してしまう事を避けるリスクとバックがトントンでも、損失が確定する方がすごく嫌みたいです。緩和ケアとか、ワクチンが例にでてましたね

あと載っていなかったけど、ひどい目にあったのは日頃の行ないが悪いからだ!と、被害者を責めてしまう

公平世界仮説

https://psychmuseum.jp/show_room/just_world/

も聞きますね。

かつては新聞や本など、それなりに編集や取捨選択された情報を得ていたけれど、無作為に無数の情報が入ってくると如何に真っ当な判断や理解が進まないか。という事を痛感する

人は不安に弱いので、デマは6倍の速度で広まる。という記述もありました。

どうにもならないわけじゃないだろうけど、これが良いものです。とか真面目に言うだけじゃ、なかなか伝わらない。という事を改めて認識しました。

ヒシガタ文庫さんでの展覧会

中津箒・吉田慎司 「詩情と暮らし 展」

2019年4月20日(土)- 5月6日(日)
10:00-22:00

神奈川県で明治時代より作られている中津箒。無農薬の素材と
手仕事による優れた道具でありながら、暮らしに彩りを添える
魅力があります。セレクトされた、詩歌の本と共に展示されます。

-4/28(日)ワークショップ「豆ほうきを作る。」-
15cmほどの、筒形のほうきを制作します。
時間:①10:30〜 ②13:00〜 ③15:00〜
参加費:2000円 各回4名、所要時間1時間
・ご予約はヒシガタ文庫にて
http://hishigatabunko.com

〒065-0025
北海道札幌市東区北25条東8丁目2-1(ダイヤ書房内)ヒシガタ文庫

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4月には、待ちわびていた、ヒシガタ文庫さんでの展覧会があります。
詩歌の本と、共に箒を展示します。

とても青くさい言い方なのですが、素晴らしい手仕事を続けていく事がで世の中が素敵になったり、誰か幸せになるものだと信じています。
むしろ、作品を作るとは、そうあるべきとの思いです。

そこで自分の回答として、古いものに学ぶ事、文化やその在り方を探る。人に伝える、という事を実践してきました。

暮らしぶりを考える中には色々な事があって、いま一番気にしている事は、人を傷つけない事です。
それは環境問題であるとか、不当に誰かから搾取していないかだとか、未来に重荷を残していないかだとか…胸を張れる生き方があって、初めて、美しいものを手に入れられるとの思いです。

また大切な事を伝える、繋がるためには、今の様に手渡していくような仕事が最適たと思っています。(hand to hand は、今のアトリエがあるspace1-15の入口にも書いてある…)

今回一緒に展示させてもらう詩歌ですが、詩歌も、身体をもって直接的に伝える、という面では最適なものだと思っています。詩は身体から直接発せられる生々しい歌の事で、命や、世界の形を表わすものだと思います。工芸と詩は、実際的な道具と抽象的な言語、という点で対極にあるように思っていますが、対極にあるものに通底する、核心を掴めないか。と、最近は考えています。
本屋さんでの展示会は初めて?
ワクワクして臨んでいます!

寄稿・朝日新聞

本日の朝日新聞・北海道版の「北の文化」欄に寄稿させて戴きました!

取材は何度かありますが、寄稿は初めてですね!いま一番伝えたい事を好きに書かせてもらっとても嬉しかったです。

まとめると、日常の些細な暮らしの中に最も豊かな事、詩情があるのでは。という話です。

2019/3/9 朝日新聞「北の文化」

「生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ」

これは、谷川俊太郎さんの有名な詩『生きる』の冒頭です。人にとって「生きる」とは単純に生命を維持するだけではなく、身体で感じ、心を動かし、人や世界との関係を深めるための詩情を携えていくことだと考えています。

現在私は、「生きるための道具と詩歌」をコンセプトにした札幌の店舗『がたんごとん』内にアトリエを構え、株式会社まちづくり山上の社員として中津箒(なかつほうき)という箒を制作している職人です。お店には、箒を始めとした手仕事の品々と、詩歌を中心とした本が並んでいます。美術大学を出て、箒を作り、詩歌の本に囲まれて…というと風変わりに見られがちですが、元来日本の美術と美意識の根底には素朴な生き方に籠められた詩情というものが、流れています。

万葉集の時代の貴族は、苫の庵(とまのいおり)といって貧しく慎ましい住処を味わい深い物として詠みこんでいます。シンプルに削ぎ落とされた事物に世界を凝縮し、奥行きを見出す考え方は、茶道でいえば侘び寂びであったり、仏教でいえば多即一などがあり、例を挙げればキリがありません。その中でも意味や味わいを結晶化したものの代表として、俳句、短歌、川柳などの短詩系があります。遡れば古代から続く歌謡は、政治、伝記、恋、遊び、あらゆるものを包括しながら、現代まで息づいてきました。ネットや印刷の発達もあり、若い人が革新的な活動を多く展開していることは、その詩形の生命力と可能性の証明といえます。

シンプルに洗練された物を深く味わい、その向こうに思想や美しさの広がりを感じる、ということは道具や工芸の世界でも同じです。例えば、私の作る箒は古くからの庶民の道具でありながら、「払う・清める・整える・慈しむ」など様々な思いを形にしてくれる道具です。掃除の心地よさ、物や家族を大切にする心は英語でcleaningと言っても、表現しきれない味わいがあります。食べ物を「戴く」という気持ちも、eat 以上の感謝や謙遜があり、「繕う」という事もfix以上に、心や物の在り方を整えてくれるような趣きがあります(もちろん、英語圏には英語圏の美しさがあるのですが)。誰に教わらずとも、素朴な暮らしの中にある美しさ私達は身体の中に持っています。またそれらは、いま必要とされる生き方でもあります。言葉も物も、大量に作られ、使い捨てられる時代。それらが、たくさんの歪みや悲しみを生んでいる事にも誰もが気がついている時代だからこそ、こんな仕事をしたり、残し、伝えていく人がいても良いのかな、と思っています。世界は元より日本にも、明日食べるものにも困る人や、衣食住はあっても、大変な窮地に立たされている人はたくさんいます。だからこそ、生きるとは何か、豊かさとはどこにあるのか、考え、感じ、実践し、その輪を広げていくような仕事をしたいと思っています。