パン

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そういえば、4月から何気にパン教室に通ってました。(また9月からも通う)
先生超かっこいいです

きっかけは、コーヒーを勉強しようと思ってやっていた所、パンも必要かなと何となく触れたら大変感動しまして。すっかりパン作り好きです。

絵画や彫刻での体感なんだけど、やらないと見えない地平って沢山ありますよね。

コーヒーの評価方法の基本的な方法で、酸や甘みを強弱でなく質で見ると言う事があります。

だから、数字で出すのでは無く、たくさん言葉を作らないといけないのですが、凄く豊かな事だなって思う。

広げて考えれば生き方や時間に関してもそうで、労働時間が短いとか休みが長いとかでは無くて、抱えている時間の質や奥行が大切だなって思う。

甘みは小さくてすぐ消えるけれど、鮮やかで凄く印象に残る、などのコーヒーも良いですよね。

お茶も好きだし、好きと思われもするんだけれど、ハレとケと言いますか。良いコーヒーとパンはお茶よりも非日常と言う感じがあって、興味が高まっているんだと思う。
(お国にもよる部分も多いと思います。)

凄く内面的な感じがして

パンも、がちゃがちゃしたのより、リーンで粉や酵母の味が判るものが好きだな。

我々の仕事も、ただ道具とかブランドを売るんではなくで、時間の質を交換しているんだと思うんだよね。
(個人的には)
やっぱり、強弱じゃないから肥沃に、対話しながらやっていく物かなって思う。

引き続き展示も開催中です。(前投稿参照)

べんがら染め


昨年、某お世話になっているお方に染めてもらってから、とても気にしています。べんがら。
染料じゃなくて、顔料なんですね。赤い漆や、神社の赤い鳥居なんかそうですが
要は鉄分が酸化した土だそう 赤土ですよね
作るものの色は、とても大切だと思います。
なぜこんなに色に魅かれるのかとも思いますが、無粋な事を言うと美味しい果実を見分けるなど、
本能から刷り込まれている様です。
たくさん作ってカラフル!みたいのもやっていたのですが、最近は少なくしております。
染料なんて、それこそ無数にあるので、遊び幅が広い事この上ないのですが、
個人的には(あくまで自分の好み。自分の作る物に関しては)道具の上をキャンパスの様にして楽しむ事より、道具そのものを見て欲しいと言う意識があります。
鮮やかな布や器もそれはそれで大好きですがそれはまた別としまして
顔料は色が乗りにくいし落ちやすいし、あんまり良いことないのですが、何より日光の堅牢性があります。
日に日に色が落ちて行くのも草木染めの愛着ですねと言う話もあるんですが、私個人としてはずっと付き合える道具、暮らしに対する祈りとしては堅牢で在って欲しいと思う次第。
あと、マットでクレヨンみたいな風合いもとても好きです。
(素人仕事極まりないので、あんまり知ったふりしないようにする)

最近思ってること

とかたまには書かないと、何にも考えなくなってしまいます。(ありがたい事に)忙しいと何も感じなくなってしまいます。
先日は、佐藤阡朗先生の漆の話を聞いてきて、とても感動しました。
下地がとても大事で、修理して使えば三代持つんですね。
一番修理しやすいのは本堅地だとおっしゃっていました。
あんまり知らなかったのですが、黒く光っていれば、表面積も少なくなり、日光にも強くなるので、やはり持ちが違うそうです。
布を着せたり、下地をしっかりしたり。長持ちして合理的だと思っていたけれど、今はなかなかやっている人がいない。一代しか使わないからそれで良いって言われたらそれまでだ。みたいにおどけて言うのですが、自分も、常々1つの物をずっと大事に使いたいと思っています。
「一個のものを一年かけて作って友達は国宝になったが、私はならなかった。300個作って、1つの作品だと思っている。今の人は何個かずつしか作らなく、どう上手くなっているのか。」
など、自分は漆や木工など無知も甚だしいのですが、大変感動した次第。本当に、真剣に作って来た方。
三代使えると言うのも、信頼できる職人さんがずっと仕事を続けていての事。
箒も柄が折れたら修理など全然出来るのですが、郵送したら往復3000円位しちゃうからね・・・!小さい箒買えちゃうつって。

だから根源としては、趣味とか嗜好とかじゃなくて、生き方、暮らし方、社会全体の話だと思ってる。
会える人の物を買う暮らしだとか、大切さや機能を体で知っている事だとか。それを感じられる暮らし方だとか。
ですもので、哲学、科学、とても尊敬しています。
物の根源であるとか、全ての人に通じる事だとか、全体を考えていて、アプローチが自分の真逆にあると思っている。結局、どう生きようとか社会がどうなっているかとか、人はどう暮らしたら良いかとか言うと、色んな方が考えて来てくれているので、読んでしまいます。
対して、生活道具を作ると言うのはとても個人的で、実際的で、個々の思いに繋がります。
何を考えたり、行動したりしても、最終的に人の実生活に変化があってこそと考えるのでとてもストレートなのですが、何も伝わらないとただの高い手作り品。
そう言う、1つの物を鍛えて、手で修めて行くと言うのは1人何個もできないもので。
本当は、同じ方向を向いた人で集まって、言葉を大きく、深くするしか無いと思っている。
イベントでも、組合でも何でも良いのだけれど、集まる事で、1つの物の中にもっと大きな考えとか
提案とか、詰め込んでいけると思うんですよね。
既にそう言う方もたくさんいるわけですが。
など、ぐだぐだ言いながら作っています。
結局、良いもの作れないと何にもならないので!
子どものための工芸展
日程:11月14日(水)~2013年1月31日(木)
時間:10:00~17:00
月曜日休館、月曜が祝日の場合は翌日休館
場所:ちひろ美術館・東京
・11月5日(月)~五夜連続で20:54~21:00、BS朝日「緑のコトノハ」で紹介されます。
よろしくお願いします。
最近は、電子書籍と携帯端末の普及で、英語の本読み放題じゃないか!と気づいて、Project Gutenbergで勉強してる。専門書いつ読めるかな・・・今クリスマスキャロル。結構こわいのね

今日会った石神井のおばあちゃんの話 メモ

昔は畑が多い事や建物の関係もあり、掃除は朝、昼、晩行うのが普通だった。
箒は朝、晩は長柄、昼は手箒など使い分ける。
必ず拭き掃除も行い、大変なので子どもも手伝う。女中だけでは足りないし、当たり前の事だった。
板敷の廊下は、猫が歩けばそのお腹が映って見える位に磨いてあるのが普通である。
ほこりなどがあれば着物がすぐに汚れてしまう。拭き掃除をして、溝まで竹串などで掃除する。
どこの子どももはたきや掃除は一般常識として身についているのでちょっとはたきかけといて、などと言われて
他の家の手伝いをする事も多くあった。家によっては、年末にまとめて掃除をする高い場所などもあるので、
気づかずはたいて埃がたくさん舞うハプニングもあった。
夜は掃除をしてはいけないと言われていた。
夜に掃除などしていては、はく音や雑巾を絞る音など周囲に響いてしまい、あそこの嫁はものぐさだと恥をかく。
日中やれば良いことだし、忙しいなら朝早く起きれば良いからだ。
また、掃除の際は机や物などを毎回どかした。四角い部屋を丸く掃くなど非常識だと言われる。
箒の使い方もしつけられ、畳も箒も長持ちする様、穂先でさらう様、丁寧に扱う。
また、はたきは各自、家の布やなどで自分で作っていた。
棕櫚の箒もあったが、柔らかいのは草の箒。長さがあるので切って他に使い道が出来たし、当たりも特に柔らかい。
一本しか箒がないと言うのは相当に気を配らない家で、必ず数本は持っている物だった。
今で言えば、毎日大掃除をしていた様なものだけれど、12月はもっと大がかりで、15日までに障子を張り変えたり、多くの仕事があった。
季節毎に器も変える。
夏ならば底の浅い涼しげなお椀を使ったり、冬場は冷めない様厚手の器など、季節に合わせた食器を使う。
やはり、拘らず同じ器で食べていると言うのはものぐさで、恥ずかしい事だった。
など、一息に話す元気なおばあちゃんに会った。
凄く、綺麗な暮らしぶりだと思います。