▪️次回の展示▪️
・「工房からの風・風50+展」
日時:2017年12月2日(土)10時~18時
場所:ニッケコルトンプラザ2階コルトンホール
京都にずっといるので、箒の師匠の事を思い出す。
師匠は2人。兄弟で、お兄さんが腕がとても良くて、弟さんは、ゴリゴリの京都の人。とっても紹介したがり、世話したがりの、良い人でした。
あんな、絵に描いたような京都らしいお客さん来るのかなー たぶん
兄ちゃん何年その仕事やっとんのや。社長が6代目?京都じゃ100年までは新参者やからなぁ。まぁまぁってとこやなぁ。京都は初めてか?修学旅行くらいじゃほんとの京都は分からん。ほんとの店は、看板なんか出してないで。
これが京都や。とか言って、河原町やら鴨川やらの歴史をたっぷり説明して、オーバースペックなくらいにちょっと良い箒をサクッと選んで買って帰って。奥さん困らせちゃう。
みたいな。
本当に、嬉しそうに京都の話するんですよね…
まぁ実際、そんな人ぜんぜん来てないんですが…伝統という言葉について、最近考えていました。
伝統と革新、とか言うときな臭い感じもするんだけど、最近同じものじゃないかな。って思い始めた。
その師匠(弟)も新しもの好きで、器が好きなんだけど、現代陶芸にハマって四角くて真っ黒い焼物(すごく高い)が、玄関にありました。
宗教も、茶道も、歌舞伎も、伝統の代表の様で、元々はキレッキレのアヴァンギャルドですよね。(最近読んだ、カトリックの、フランシスコ会というストイックな修道院の本でも、冒頭から伝統に囚われている論から始まっていてとてもエキサイティングだった…)
伝統工芸という言葉も昭和の中頃からで、決して古い言い方じゃない。
職人仕事にはそういうイメージがあったけれど、本当にただ同じものをコピーしようっていうのは、いずれ行き詰まると思っている。
作り手としては守るべきもの、譲ってはいけない核心を掴み取るべきという話があって、矛盾するかな?とも思ったけれど、両方必要だな。と思いました。
平たく言うと、水もの。澄んだ水を生み出すことと、水の提供の仕方を変える事は矛盾しない。
どんなに綺麗な水があっても、状況や環境で、必要とされる形は変わる。季節や、場所、体調、組み合わせ。作るものの最も美しい形、本質はなにか。と掴み取ることが伝統で、それらの最適な在り方を変えていくのが革新。という整理をしました。別に、自分にとっての分け方なので、人に押し付ける訳じゃないんですが…
本質と提供の方が近いかも
あんまり関係ないけど、ここ数日京都で色んな人に会って、暮らし系もう飽きたよトークが多くて楽しいです。笑
情報、流行、たくさんあって、変わる物が多い。自分の仕事に一生つき合うしかない作り手には怖いものに見えるんだけど、恐らく、本質を掴む事と、それらを一番いい場所に置いてあげる事を考えなきゃなー。など、色々思い出しながら考えました。
でも自分は宣伝する役割もあるなーと思っていて、フレックスしまくってる…が、大事な事は、そのくらいじゃブレないから気にしない様にしています。