「箒と絵と言葉」展 内容と経緯

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などなど、熱く書いて節操なく次回の展示のお知らせです。

「箒と絵と言葉」展
日程:9月6日~14日
時間:12:00~19:00
場所:ギャラリーみずのそら

絵と箒の二人展ねみたいな感じかもですが、結構仕込んで来ました。
この展示。

DMに、想像の交換絵日記とあります。
これは、互いの作品に散文や詩などを添えて、交換しながら展開していく展示で、半年位、地道に作っておりました。

オーナーの方も、「なにか新しい事をしましょう!」と、きらきらと言ってくださる方なので、ここぞとばかりに考えていた事を放ってみました。
ここに、以前より親しくしていた佐々木くんが乗ってれた形です。
箒を作り始めてからというもの、どうやったら人がより豊かに暮らせるか。大切に人生を送れるか。より厚みのある世界を描けるか、など、ずっと考えていました。
そして、昔からの生活に寄り添う道具を新たな形で提案するという事は、自分にとって間違いのない選択のひとつです。

ただ、間違いが無い事や、振り返る、考え直すという事は、マイナスでないだけで、志向する力が弱いのではないかと思っていました。
そして、箒はかつては5年で一人前とされていたそうです。
勿論、当時ほどの熾烈な環境で制作はしていませんが、ある程度に形が整ってきた時、どう先に進むべきかという事は、しばらく考えていた問題です。

手仕事の道具よる最大の力は、1つ1つに愛情を持ち、より味わい深い暮らしを作れる点だと考えています。かつての職人は、恐ろしい精度と速度で、数多くの品物を作り、鍛えられてきました。その仕事に敬意と合理性と可能性を感じていますが、数的に大きな潮流してはプロダクトへと進んできたようです。
やがて、熟練された均質化、安定 VS 一点物、味わいという事が、自分の中で矛盾をきたすようにもなっていました。(勿論、素晴らしいプロダクトはたくさんある訳ですが)
新たな何かを作っても、それを百個、千個と作れば、百分の一、千分の一と、どんどん気持ちも薄まって行くのではないか。

豊かに暮らす、という事だけを考えれば、別に窓口は箒で無くとも良い。自分が手順上、最適と思っているだけです。
では他にどんな方法があるか。例えば、詩歌をとても尊敬しています。
松尾芭蕉みたいに、蛙が水に入っただけで、あれだけ感慨深く歌える人が、日々の暮らしを無下にしていたとはとても思えません。これだけ物や情報が溢れる中で、数少ない言葉や些事に世界を広げられる事は、一番贅沢なのではと考えていたのです。

(じつは、それを反映した近しい展示も行っていました。http://shinjiyoshida.main.jp/?p=303)

この展覧会は、そんなとき偶然、言葉に興味を持ち始めていた絵描きの佐々木くんとの、詩情と想像を膨らませた作品を交換しながら発展させるという、変わった展示になります。
普段と同じ価格帯ではありますが、ファインアートに近い感じとも思います。

誰でも、どこでも出来るスタイルではないですが、一歩進めて、何か開く事が出来るのではと、日々準備をして参りました。

皆様、ご高覧戴ければ幸いです。

 

(佐々木くんには、1つ勝手にネタバラシしてしまって申し訳ないが・・・こんな感じ
散文、言葉遊び、31文字など、これらが連鎖して、どんどん展開していきます。)

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ワークショップは、この企画になぞらえて、糸や文字を選んでもらい、それを佐々木くんが空想(?)解釈して絵もついてくる企画です。

あ、13日のパーティ、自作のパンとかコーヒー、振る舞いたいと思っております。
是非是非、おいでください。

御礼

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「工房からの風から 50人の手仕事展」おいで戴いた皆様、誠にありがとうございました。

本当に、傑作選に近いというか、強烈な密度でした。

(毎度ながら、皆さんの熱意に当てられて弱っている撤収翌日・・・)

 

改めて実感したのですが、風というだけあって、本当に風なんですよね。

寄せ集めでも、集合でも、塊でもなくて。

進みながら、後ろにある物を孕んで、みんなである方向に向かって進んでいる感じ。

ご来場戴けた方には、そういったものが何かしら感じられたかな・・・と思います。

 

動きって、一番大切だと思っています。

作家というからには何か伝えんとする訳ですが、すぐ飽きられるような曲芸をやっている訳でも、誰かに言われた事をそのまま伝える伝達係でも無い。

 

現在にある物を受け止めて、咀嚼して、然るべきと思う方向へ繋げて行く事が肝要だと思っています。世の中なんて日々変わっていく訳だから、暮らし方や考え方も日々シフトしていくはずで、そういうチューニングをするのが仕事なんだろう。

とか思っていたら、ヒナタノオトの皆さん、1つ売れる度に展示を変える様な丁寧な配慮を目の前でやってくださるのでクラクラしてしまいました。作家さん達もみんなカッコよくて、すっかり熱中症です。ちょうど涼しくなって良かったな。と、安心しております

(某方が、夢を売るんだよ!とおっしゃっていましたが、確かにそうですね・・・。みんな、先を見ておられます。)

風とは、弱まったり強まったり、曲がったり回ったり色々あるとは思いますが、日々精進したいと思う次第。
皆様ありがとうございました。

資本論綱要

資本論の草稿やエンゲルスによるまとめなどが記載された本です。昭和28年初版の岩波文庫を読みました。
原書を読んだ人が研究用に読む本なのかも知れませんが、短くまとめてあるので入りやすい本ではあります。

勿論、共産党宣言ではないので、資本の仕組みがひたすらに記述されています。
資本家に労働者が酷い搾取を受ける中、エンゲルスの助けを受け、逃げながら、命懸けで資本論を書き上げた事は知っていましたが、それにしては何が悪でこうするべき。などという直接的な主張は殆どない論調だと思います。
繰り返し主張される事は、商品にはその元々の価値以上に剰余の利益を付ける為に値段が上乗せされている事。資本家はその剰余価値をつくる為、労働者を出来るだけ長く働かせようとする事、などです。また、その剰余を作らずに資本主義は成立しない。

現在の社会で考えると、所謂ブラックな経営者の形だと思います。(余分に働けばその分の収入、生産性が上がればそのぶん労働者に見返りがあるのが順当だという事自体は、我々は認識しています。)
今はないがしろにされがちですが、こういった意識が浸透しているのは、彼らの頑張りのお陰もあるのだろうと思いました。

また、これも慣れてしまったせいで当然と思っていますが、自身で作った物でも、利益が出る様に常に上乗せした価格を設定しますね。仕事であれば当然ですが、そこの利幅には何の根拠も無い。時給換算する事もありますが、物の価値と賃金は何の関係も無い。
恐らく、生活にかかるお金から逆算された値や、その周囲の相場から算出された物です。
この本の中でも、剰余価値は資本主義と切り離せない物で、それが良いとも悪いとも言っていません。
ただ、普段の自分の仕事は、他の人の時間を代わりに費やしているからその時給分を貰っているとは思いません。時間や、生産コストも含め、それ以上(または以外の)価値と向き合っている様に思う。貨幣を使って暮らしている以上、切り離せない話だとは思いました。