シロクマ. 今週末です。

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シロクマ、事前につぶやいてもおりましたが、今週末です。
期間も短く、巨大な展示では無いですが、楽しくしよう!わいわいしよう!というテーマでの展覧会。
(勢いあまって特設サイトあります 笑 http://shinjiyoshida.main.jp/shirokuma/

最近は、本当に色々な場所やシーンに関わる事になって、忙しくさせてもらい、同時に目まぐるしさも感じています。絵の具の色が、何十種類も混ざって、結局おなじ色になってしまう様な感覚。それは、メディアの数や言葉が、爆発的に増えているせいもあると思います。
平たく言うと、クラフト、流行っているなぁ。と、ずっと感じている。

我々の仕事は、その場限りのものや、花火の様に散るものではなく、恐れ多くも数十年(もっと言って良いのなら、もっと先まで)見据えた仕事だと思っているので、周りの動きや評価に動かされない様な、根を張った仕事をする必要があるでしょう。

これだけ目まぐるしく、言葉の飛び交う世界で何か発言出来るだろうか。足場なんてあるんだろうか。不安になる事もあるけれど、きっと、常に手ごたえを確かめながら、向き合いながら、こつこつと手繰り寄せてしていく事が、一番確実である様に思う。

変わらない物を作ると言う傍ら、変わらない物なんてないとも知っている。
10年前の箒の意味と、今日の箒の意味は違う。今日手仕事と言われているものは、明日には少し形が変わっている。自分がずっと、いまの様な作り手でありたいと思っていても、何年か経ったら、すっかり違う場所にいる羽目になると思う。ただ、いまここで感じる、楽しい!素敵!これで全部!ってのは、今は本当の事。というのは間違いが無いと言える。

あんまり難しい事いわずに、いま楽しめるっていうのは、いまの時点では、何よりも確実な事だと思う。
長く続けていく為に、大切にしていきたいと思っています。

ロラン・バルト モード論集

ロランバルトが、モードについて論じた本です。シニフィアン(表示)、シニフィエ(内容)という様な考え方を基準に、モードを考察しています。

舞台衣装の項などでは、「衣装のモラルの基礎となるのは、いかなる場合もその劇作品の社会的身ぶりを明示することである。(略)この機能は、衣装の造形性やそれがかもしだす情緒といったものより、むしろ知的次元にかかわるものだ」「衣装の役割は眼を誘惑することではなく、納得させることなのだ。」などど、見た目の華やかさや面白さで満足する事なく、それらの意味する内容を重視した主張をしています。
(また、それらのルールや効果を調査し、体系的に考察すべきだという事を全編通して述べています。)

「モードとは、ある新作の集団的模倣である」「意味するものと意味されるものとの間の類比関係をすっかり失ってしまっている」「衣服の記号学は語彙論的なものではなく、統治論的なものだということであろう。」「モード雑誌は神話的使命によって、もろもろの記号を不動の本質として差し出す傾向がある」「衣服はつねに記号の一般的体系として構築されるとしても、このシステムの意味作用は安定していないということです。」

など、実物と、流布されているものに関連が無く、常に形を変える捉えようのないものという印象ばかりですが、その規則をとらえるぎりぎりの所まで攻めている感じはあります。

大切だと思うのは、これにより流行とは何なのかを曇りなく掴む事ではなく、仕事にしろ趣味にしろ、もれなく我々は流行の影響を受けていて、それは誰かの作為であったりもするし、掴めてもそれは日々流転するもので、常に誘惑に溢れているという事です。

流行を追いかけるだけで必死になる事もあるかも知れないけれど、それらを一つの時代の流れの中で、客観的に把握することが肝要だと思いました。