感動したので伝えたかった

とにかく、佐助さんには感動した。若い頃、(自分の箒の師匠も同じだけれど)大量生産の波が来て、辞めるか迎合するかの選択を迫られたが、唯一の伝統工芸士でもあるし、辞めず、生き残ると言う選択を採った。
特に優れた技術としてあるのが鋏のねじれだそうで、普通の様に二枚の刃が平行して切るのでなく、微妙なスパイラル状に曲げた二枚の刃を閉じて切る。なので、線でなく、閉じる事に刃先に移動する点で切る。すると、多少無理して切ってハトメが緩んだとしても、切れなくなる事がないそう。感触が全然違う
ただ、それだけの素晴らしい道具を作っても分からない人には分からない。ただ手作りだから高いのだろうと言われてしまうのはいけないと、色漆や焼き付けを勉強して、装飾性の高い物を作った。愛着の湧くもの。祖母から孫に伝えられるもの。工具ではなく、道具にする為の、努力だと言う事です。
更に、彫金を習いに行き金の象嵌を施したり(それも、立体なので凄く苦労するそう)、50になって刀鍛冶の所に、しばらく仕事を休んで習いにいくなど、本人も言っていたけれど研究の事ばかり考えている。
その情熱と努力と、使って欲しいと言う熱意と達成度。そしてその追い続ける魂…!泣ける

人が来るたび何回もやってくれる・・・!幾らでも聞いたら教えてくれる・・・!優しさ
佐助さん
大学の友人がそこで働いておられるのです。神な程にこやかでした・・・
大変、秋はいろんなイベントがあるのですが、落ち着いて参りました。
かわいいとか手作りとか、大事なんだけど、少し前に量産品が流行った時はその方が素敵だったから手作りが減った訳で、数十年のスパンで見たらただの流行ものかも知れない。とか日々思っている。
別に、流行ものが悪い訳じゃなくて。良いものとか価値と言うのは色々ありすぎて分からないけれど、それが持っている内容と、時代や情勢などの環境で評価はどんどん変わるので守るとか繋げると言うのは保守的な意味ではなく、そういう対応力や圧倒的な機能であるとか、どんな時代や暮らしが来ても意味を維持できる事だと思う。それは、侍がいなくなったら刀の需要が減るのは確実な訳で、それが意味も変えなくてはならないと
ですので、そう言う孫まで使える様な物は、それだけの能力、価値があると言う事で、本当に良いのだと思う。それに、真っ直ぐに、しかも実践されている姿に感動しました。
11月は、3日に府中郷土の森博物館で実演をしますが、イベントはお休み。
12月には、漢方薬局屋さんでの展示や、WS,松屋さんなど、予定。
追って書き込みます。