次回の出展 と、美術と工芸について最近思っていること

 

■■■■■■■次回出展のお知らせ■■■■■■■
・「初夏の色」
日時:5月18日(木)~23日(火)
時間:11:00~ 18:00(最終日17時)
場所:space koh

・「ギャラリー青らんぎワークショップ」
日時 5月16日(火)①午前10:00〜②午後1:00~
予約:青らんぎ 042-345-3532

Workshop & Pop-up store展【てまえみそ】
日時:4月27日~5月7日
場所:Diginner Gallery Workshop

 

■中津箒みんなでの出展ですが、久しぶりに出向きます。楽しみ。■

・「井のいち
日時:5月21日(日)10:00~ 16:00雨天決行
場所:石神井氷川神社

・「東京蚤の市
日時:5月13日(土)9:30 ~18:00
5月14日(日)9:00~ 17:00
場所:東京オーヴァル京王閣
※入場料500円(小学生までは無料)

 

久々の投稿。

人に会うと、最近どう?なんて聞かれたりするけど、職人仕事に関して言えばかなり単調なので、変わらずやってます。みたいな返ししかなかったりする。

(勿論、細かい変化、あそこの縛り方が・・・とか、色々あるんだけど、口頭でほとんど伝わらないし、あまりにマニアックなので、社交辞令的に返すにはあまりに仔細。なのでそう返す。)

 

最近は、美術史、というか、そのマッチョさについてよく思いを馳せています。

文化の力関係と言いますか・・・具体的には、フェミニズムの本を読んだり、オリエンタリズムの本(というかザイードですが)を読んだり、日本の先住民の本(というかアイヌですが)を読んだり。短歌でも、女歌の話は、結構重要なトピックです。

 

美術や工芸が、マッチョな文脈にあるっていうのは、多分学生の頃からこじらせている。自分の好きなドストエフスキー、カラマーゾフの兄弟に出てくるゾシマ長老の「全人類の幸福と調和」という言葉が個人的なモットーで、芸術全般、世界の幸せの為にあると信じている。ので、キリスト教とか仏教、神道、色々あるけれど、それらが何をしてきたか、っていうのは気にしている。特にキリスト教は、一時期世界のほとんどを領土にしていて、西洋美術はその上に育ってきたので、かなり色んなものを孕んできたように思う。勿論、いま一般的に美術と言われているものは西洋美術がメインストリームで、人類のすごい財産で、自分も大好きなんだけれど、貴族の文化がベースにある。と多く感じている。

 

日本で美術や工芸という単語が今の様に使われ始めたのは明治以降で、外国との対比が下敷きにある。その前には、茶道とか、画とか書とか、色んなものがごっちゃになっていた。どこから日本の美術か、というのも難しいけれど、特徴的な文化、茶道や(時代は違うけれど)民藝などは遡ると禅に繋がる。どちらも、始めたのは西洋同様に富裕層だけれど、ベクトルとしては真逆の部分が好きです。どんどん足していく、足し算していくよりはどんどん引き算していったり、朝鮮の田舎の職人の器がすごいんじゃない?とか、どんどんローカルに、民衆のもの、素朴なものにむしろ美しさを見出した点、そのほとんどが建具や器など、道具や生活に繋がっていた点、など、誰もが幸せに、という事を考えると、日本式の方が良いなぁ、というのが最近の考えでした。

 

ただ、それも更に入れ子状になっている、と、という解釈もあって(池田忍さんなどですが)日本は、西洋に対しては繊細さや細やかさなど、たおやめぶりを発揮するのに、国内では、結局男の強権的な文化じゃないかみたいな(すごく乱暴な言い方)だったり、近しい所では北海道の木彫り熊がおみやげの工芸になっているけれど、結局アイヌを支配して狩猟をとりあげて日本の経済にはめ込んだ結果だったりする。

ただ、自分の信念にしたがう限りは、金持ちの鑑賞物や大きな力になるよりは、出来るだけ普通の人の用途に適う、便利で、環境や文化に対してマッチョでない形でありたいと思っています。作る物は、別に変わらないんですけどね。

 

マッチョって、対義語でて来なかったんだけど、ないんだろうか・・・座右の銘は?って言われたら、それにしたいんだけど。

子どもと名前 (と次回出展の告知)

■■■■次回出展■■■■
・「染の小道
日程:2月24日(金)〜26日(日)
時間:10:00〜17:00
場所:器スタジオTRY
※24日、ワークショップ

・中津箒展
日程:2月17日(金)〜28日(土)
時間:10:00〜17:30
場所:ギャラリー青らんぎ
※23日、ワークショップ

※まだ告知されていないんですが、27日、都内でお話し&販売も予定しています。

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既にメッセージなども戴いているんですが、第二子が産まれました。
皆さまありがとうございます。
詠太 という名前になりました。
1人目は奥さんが付けた(舟-しゅう と言います)ので、今回の名前は私が考えました。
生きていくに際して、必要な事はなんだろう。と日々考えているのですが、最終的には詩情なんじゃないかと思っています。
カテゴリとしての詩というと自分の場合は短歌で接近する事が多いのですが、根本的な意味で詩である事とは、物事や世界に向き合い、感じ、考え、自らを定め、その真実、本来の形をまた世界に向けて美しく詠い上げる、喜びを分かち合う様な循環の事だと思っています。
本当は、散文でも短歌でも、何でも良いんです。自分にとって、詠ずるのに適した形が箒だったのかな。と今では思います。形を変えてはいますが歌謡とは、古代から続く事なので、この子が生きる100年くらいは大切なものであり続けるだろう。なんて。
あんまりブログに私事を書いてもなぁと思っているんですが、自分とも深く繋がるので書いてみました。
余談ですが、妻と志向の違いが如実に出たなと…アリストテレスとプラトンみたいだなとよく思うんです。(分かりづらい例え 笑)
自分は物事の経験とか、データとか観察したり、組み上げて答えを出すんですが、妻は直線で、感性で答えを出すタイプなんですね。
おそらく舟って、詩そのものですが、詠ずるって、構造の話ですよね…私も詩人でありたい…

今年もよろしくお願い致します。

遅ればせながら。本年もよろしくお願い致します。今年の仕事始めは、長柄にしました。
なんだかんだ、年末年始、休みつつも何か書いたり、色々料理したり、焼いたり、ちょっとトンカンしたり、なんか作ってたな…言う程作るの好きじゃないって良く言うんだけど、好きでやっているというよりは、作る力を人より信じている。という感じだなと思いました。趣向じゃなくて、信心の問題である。

昨年の抱負は、詩情を高める、とか言ってた気がするので、今年は精神力だな…と思います。
よろしくお願い致します。
展示の予定は、後々アップします。

お引越し

■ご報告

お会いした方には、ぽろぽろお話しているのですが、奥さんの実家のある札幌に引っ越してきています。ご存知なかった方はすみません。14日に、越してきました。
(お世話になっている皆様、書面でご連絡予定なのですがなかなか追いつかず・・・ブログが先になってしまってすみません。)

まず、最初に聞かれるのですが、仕事は形態、取引共に、変わらず進めています。
お世話になっている皆様には、引き続き、変わらぬお付き合いを戴ければと思っています。(12月、2月にも、早速東京に出張予定です。かえって、前より実家に多く顔をだす様に・・・)
■動機

理由もよく聞かれるのですが、入り口は、子育てですね・・・。子育ては、札幌で、というのが奥さんの予ねてからの信条で、実際、良い環境だなぁというのは、来る前からひしひしと感じていた次第。

ただそう言われてはいはい、っていうだけでもなく(行きかねないんですが)積極的なモチベーションも多くありました。一応、両親どちらの祖父も東京の人で、江戸っ子的な立ち位置なんですが、ずっと東京のTHE・ベッドタウンにいたので、あんまり地元に愛着もなかったんですよね。同じような境遇の一部の人には共感戴けると信じているのだが、地方や地元の実感が無くて、コンプレックスに近いものすら抱えていました。

■その(青臭い)理由

東京そんなに。ってのは、感情じゃなくて、社会の仕組みに抵抗がありました。というか、そこに石を投じるべき場所に自分はいると思っている。大まかに言えば、物の作られ方とか、消費の仕方、生き方の問題だと思っています。科学の発展や大量生産やグローバル化は本当に素晴らしくて、たくさんの命が救われて、人類の夢で、糧で、基礎である事は間違いないと思っている。けれど、そこに、歪みや疑問がある。環境とか政治とか文化とか、まぁ問題が存在しないと断言できる人もいないんじゃないかな。

東京も広いので一絡げには出来なくて、下町の方だとか、府中でも三鷹でも、国立なんかでもいいんだけど、血の通った場所はたくさんあると思っている。けれど、30年ていど住んだ実感として、概観としては、ひたすらに拡張、集積を求めている。っていう意思を感じている。(本当は、土地や人が悪い訳じゃない。行政機関の配置であるとか、経済の仕組みであるとか、土地や人を覆うソフトの問題だと思う)

本当に貧しい村や、過疎地に生まれ育ったり、不利益を体感した訳じゃないので批難は承知なのだけれど、色んな土地をうろうろしてみても、なんとなく、東京は豊かで、上位にある様な引力が凄く嫌だった。というか論理的に承服できていない。(物とか貨幣がいっぱいあれば豊かだと、思想の下敷きにしている人に会うたび、「重商主義かよ!」って脳内でスライディングでつっこみ入れてる)

■私の立ち位置としては

ファッションや経済に関わる人には、最適なんじゃないかな。その文化やシステム自体を否定するつもりはない。というか自分も好きなんですが、手渡しの手仕事かつ、古いものや今の生き方、在り方を見直そうぜ。という型で提案する立場としては、割と不向きな場所なんじゃないかな。と、ずっと思っていました。売るだけなら、数字は出しやすいのかな。とか思う。けれど、10年以上続けてきて、自分の立ち位置は、商売人とか職人の前に、伝える人なんだな。という事が全然揺らぎませんでした。

伝える。とは、相手の状況とのやりとりであって更に、手作りの物は、作れる量が限られている。申し訳ないくらい注文をお待たせしたりするし、目が回るくらい仕事の依頼を戴いたりするのだけれど、着地点としては言葉の量ではなくて質を高める。という方法しかない。ついでに言うと、芸術家タイプでもなかった。人や世間を全部閉じて、籠って作品を尖らせるよりは、どう伝わるか?誰が、どういう風に見ているか?という事にばかり関心がある。そこのプラグマティックなスタイルも変えられない様で、伝わって、人や世界の何かが変わるなら作家でも職人でもパンダでもなんでも良いと思っている。ので、旅芸人みたいになるより、出来ればどっかに、出来れば深く、根を張らなきゃなって思う。

前項とも被るんですが、単純に物と情報が多すぎるっていう話かも知れません。やってても、1人の力ではすぐ何かの色が混ざってきて、言葉にならない。という感じ。平たくいうと、より強く、近くに繋がりたいので、ローカルに仕事を出来ないか。という感じで、それが、奥さんの地元が良いんじゃないか・・・という流れ

■現在の心境

来る前から薄々感じていたんですが、北海道いいとこですね。上述の理由から、思い返せば初めて美術に触れた高校の頃から、不平や不満を解決する方法を表現に求めてきました。が、こっちに来るたび、空気も環境も良すぎてぽろぽろ牙が抜けていくというか、憎しみの根源を断たれて実体が消えていく敵キャラ(分かりづらい例え)みたいになっていて自分が面白いです。

あと、人にもよるとは思うんですが、あんまり東京など、都市の事が気にならないです。単純に遠いってのもあるかと思うんですが(本州渡ってから札幌まで、めっちゃ遠い)、気候区としても、街の成り立ちとしても全然違うので、殆ど別の国の様に認識している。涼しくて、パン焼きやすいです。

ここなら、やりたい事が、出来る気をばしばし感じている・・・(重要)

それから、民俗クラスタ的にも色々楽しいです。(地味に、ホームセンターの竹が根曲がり竹だったり・・・雪対策のシステムだったり。)早く、家の片づけを終わらせてアイヌの勉強をしに図書館や資料館に走り出したいと毎日思っている。

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何かと思ったら、みんな雪囲いにこぞって買っていく・・・地味にたのしい

札幌の古いものは古くて明治以降って感じかと思うんですが、たくさん残っているので寧ろ文化的な感じがしますね。

ちょこちょこ、東京にもいると思うので、遊んでください。

とりいそぎ、以下のイベントに出向予定です。
民藝館展の講評にも行きますよ!

 

【年年歳歳 2016】 Group Exhibition ※10日、ワークショップ
日程:12月10日(土)〜28日(水)毎週月曜定休
時間:12:00 – 20:00/最終日17:00迄
場所:DIGINNER GALLERY WORKSHOP

 

関西蚤の市
日程:12月3日(土)・4日(日)
時間:9:00~ 16:00
場所:JRA阪神競馬場
※入場料200円(競馬場共通)

 

あと、これも毎回聞かれるんですが、東京の家とは断熱と暖房器具のポテンシャルが違うので、こっちの方が断然暖かいです。今日もですが、外気温5℃とかだとたまに暖房切っちゃうくらいでした。

 

今後とも、よろしくお願い致します。

10月

■15.16日は、工房からの風です。今年も、風人として参加させて戴いています。
ワークショップをしたり、ブースを作ったり。
中のひとだからって訳では無くて、津々浦々世の中にあるイベントの中では一番推しています。

・「工房からの風
日程:2016年10月15日(土)~10月16日(日)
時間:10:00~16:30
場所:ニッケコルトンプラザ

自分が毎回言うのは、ものすごく言葉がよく通る場所だという事です。
幾らかでも、手仕事の中で作家と名乗る人は、何か世界に訴えたい事があるはずです。何かを変えたいと強く思っていなければ、わざわざ苦労をしてまで、新しい物を作ろうとしないはず。
でも意外と、自身の言葉が何かに引っ張られていないか。言葉にズレがないか。それがのくらいの精度で相手に届いているか。厳密にこだわっている作家が少ないように感じています。それは色んな原因がある。作る事自体が快楽であるし、ネットなどを始めとして、表に出すだけで消化されてしまう欲求もある。暮らしもかかっているのだから、あまり理想ばかりも語っていられない。売れる。というのはとても大事だけれど恐ろしい事で、お金をもらうと肯定された気になってしまう。

ディレクターの稲垣さんがしばしば、真ん中にあるもの。という言い方をする。上に挙げた例は、どれも他者との関係で生まれるもの。だけれど、本当に大切な事は自身の中にある。探す物でもないし、人と比べるまでもなく固有のもので、本当はそれだけ見つめていればやり方や在り方も勝手に定まってくるもの。なんて言うと、イデア論みたいであまりに空想的な気もしていたのだけれど、それがあるんだ。と、ここに関わる中で確実に掴めてきた。
すごいところは、現場にいるスタッフや参加者、来場者が、その存在を概ね共有している所だと思う。毎回、その核心を届ける為に準備がされ、土を耕し、場を豊かにしてきた事が、現場ではひしひしと感じられます。

良いものや生き方がもっと広がっていけばいい。もっと深くに潜っていきたい。その一心でこの仕事を続けてきました。循環、在り方、正しい心、多くの切り口があるのだけれど、そういった弛まぬ向上心や、真に迫る生き方や佇まいを形にできる。その手助けが出来る事は、自身の作品を作る事と同じくらい、幸せに思っています。
今年も、より多くの人にお会いしたい。伝えたい。の一心で、立っていると思います。

■エルメスの展示のお手伝い

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銀座メゾンエルメスフォーラムにて開催中の展覧会「リビングルームⅡ」 ミシェル・ブラジー展の展示に制作協力しました。

ご縁もあり。あと、こんな変な箒作る人あまりいませんよね・・・!
道具でないものを作る、という事に賛否両論あったのですが、自分にとっては、意味のある事だと思いました。

古くからの仕事を活かしたい、伝えていきたいと思うにあたって、まずすべき事は、ただの製品ではなく、職人仕事を言語にする事、メッセージとして変換していく事が仕事だと思ってきました。現代アートやクラフト、分けて考えられがちだけれど、本当は、どれも突き詰めれば人間を見つめ、幸福や調和を目指しているもので、地続きのものだと思っています。今後なんどもある仕事ではないし、言語として、拡張できるところまで拡張してみる事も、ほうきの形を変えていく上で、意味があるはずだと考えました。

海外の箒をまねたりして、勉強にもなりました。

開館日:2016 年9月16 日(金)~ 2016 年11月27日(日)
開館時間:
月~土 11:00~20:00(最終入場は19:30まで)
日   11:00~19:00(最終入場は18:30まで)
休館日: 不定休 (エルメス銀座店の営業時間に準ずる。)
入場料: 無料
会場: 銀座メゾンエルメス フォーラム
主催: エルメス財団
協力: Art : Concept
後援: 在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本

表現の前に歌謡であるように-最近思っていることと告知

大学の卒制のタイトルが記録と娯楽だったんですが、作るものの要素については、ずっと執着しています。しばらく、言語か娯楽かという対立で考えて考えていたのですが、最近は歌謡であるという事で自分の中では決着している。というか意識している。

テレビなんかで出てくる、~アート、なんていう奇抜なものや、綺麗なだけのものが昔から嫌いでした。芸術は表現であり、哲学であって思想であって、面白いだけだと娯楽やエンターテイメントと境がなくて、娯楽と堕落は一文字違いだ。と思っていた。美術や芸術は世界をより向上させたり、解決したりするもであって、ただの快楽ではない。と、いまでも思っている。

でも、ただ伝えたいからといって表現が純然たるメッセージになると、造形的な美しさや感動っていうものはただの尾ひれになってしまった。伝わればいいだけなのに、何で綺麗に作らないといけないの?っていう話になってくる。(そのせいで、子どものころから今まで、字を綺麗に書いた事がない。ただの記号なんだから、線が短かろうが歪んでいようが、判別できるレベル以上に意味がないと思っていたから。まぁ今もそれなりにそう思っている。)

ですが、実際の前線に、どちらかに偏っている人は殆どいないと言って良い。必ずと言っていいほど造形的に洗練されたものに、思想を託している。勿論、文字ならフォントや文字組み、話し言葉なら身振りや抑揚で言葉の伝わり方は変わるのだから、言葉の意味と表層の洗練は連結しているのは当然。だけれど、それ以上に人は造形的な美しさに心を砕いている気がしていた。綺麗に作ると、道具は物理的な強度があがる事は勿論だけれど、それだけじゃない。寧ろ、造形美を求めて行って、精神が鍛えられて、その言葉が天に通ずる。ような状況も多々ある様に思う。要は、自分の中で、表現なのか快楽なのかって対立で考えていて、対立していた。

よく、作物に対して「表現」といってしまうのだけれど、それは20世紀後半にコンセプトという言い方が浸透してからの考え方に自分が偏っていたからだと痛感しています。そこが原因だった。いまは、本当は、「歌謡」なんじゃないかと思っている。これは短歌から学んだことなんだけれど、何を歌うか、どう歌うか。というのは基本的な問題で。真摯で、切実な問題を詠っていても、技術的な完成度が高くないといけない。その逆も然り。そこに異議を唱える人なんかいない。その理由は、短歌は歌謡が元にあるからだと、個人的には解釈しています。勿論、ここでいう歌謡は、歌謡曲の歌謡ではなくて、古代から、祭りや儀礼で歌われてきた、歌謡の事です。

なにを持って歌謡か、どこまでが歌謡か、などは取りこぼしそうなので構造はあまり語りたくない。歌謡は、祈りや、伝承や、知恵や、喜びなど、あらゆるものを、魂として本人の肉体から生々しく発する事だと思っています。言葉であるから、意味がないといけないし、歌であるから、美しく発していないと成立しない。
でもちょっと、まだ理解が浅いだろうとも思っている。勉強します。

最近は、ものを見たり考えていくときに、良い歌かどうか。と、先に唱えるようにしています。

余談ですが、子どもに絵本を読む機会が多くて触れるせいか、絵本いいなぁ、と最近思っています。良い本は、詩みたいに言葉が練られていて、短い本ほど、とてもよくリズムを整えてある。これも歌謡だと思いました。向日性の文学、といいますが、世の中を明るいと思う事は、大人になるほどなかなか容易に出来ない。短い絵本は、オチや転結じゃなくて、目の前の出来事や存在そのものを愛でる仕組みでしかなくて、個人的にも、作品の形として理想的だなと思っています。

あと最近ヒップホップばかり聞いてますね・・・。なんか、カフェミュージックでも聞いてなきゃいけないんじゃないかという外圧を勝手に感じていたんですが(笑)国内外問わず、市民や、ストリートカルチャーに関心が高いという事で、個人的に解決しました。学生の頃、秋葉原とかおたくについて調べてて(いまも結構チェックしてますけど)同人活動とか、市井の動きに興味があるみたいです。ファッションなんかも、やらないけど流行りをみるのは好きですね。
下駄はいてると、結構つっこんでもらってるけど、ジャパニーズのみんな、なんで洋服着てるんだ。って割とほんとに思ってる。自問自答している。

 

■今後のイベント
夏は、ワークショップ多めです。みんな宿題に使ってやってください。
今のうち!と、せっせと注文こなしてます。
ちょっと面白い仕事もあるんですが、まだ公開前なので追々。

・Late summer 五人の手仕事
日程: 9月5日(月)~15日(木)
時間 平日 11:00~21:00
日祝 11:00~20:00
場所:mAAch ecute 神田万世橋「佇マイ」

 

府中市郷土の森博物館 実演・ワークショップ
日程:8月21日(日)
時間:10:00~15:00
場所:ふるさと体験館※郷土の森博物館入館料200円がかかります。

・もえぎ家 豆ほうきワークショップ
日程:8月27日(日)
時間:10時~、11時~、13時~ 各回5名まで。
場所:もえぎ家

・ワークショップ「禅 と 中津箒づくり ~ 日々の暮らしの中にある「美しさ」について考える ~」
日程:8月17日(水)
時間:13:30~
場所:d-labo 二子玉川

よろしくお願い致します!

文化とファッションと中和させたもの、を売ること と 展示のお知らせ

Degi Hari

出先で作家さん何人かと話して、クラフトフェアについて話した。どこが売れるとか、どこの雰囲気は良いとか、どこが根付いているとか。

手仕事が根付いて流行ると売れる。という言い方は商売としては全然いいんだけど、幾らかでも、表現という事を加味すると、気になる点はありますね。

根付くとか、流行るという事を考える時に、文化とファッションという問題があると思う。ファッションについて、高橋源一郎は半小説と言っていました。ある程度の物語が作られていて、それを取り入れて、理想的な自我像を完成させていく。ファッションは元来、女性の権利の主張やフェミニズムとも繋がっていた側面もあります。
実際、自分のいる現場では女性のユーザーが多いですが男女関わらず、手仕事の存在や関わり方を自己実現や理想の一部として受け入れられる側面がある様に思う。それはきっと、素晴らしい事です。
一方工芸は、元来ごりごりの男性文化であって、例えるならば、茶道の様な格式高い文化。理念や様式美、フィックスされた側面があると思います。

現場には二極があって(生物的な性別はどうでも良いんだけど)どう捉えて、どこに自分を位置するかという事を考えなくてはならないと思う。コンテンツとして消費するか。固定された観念として強化する方法という捉え方もあると思う。(とはいえ、極の問題なので、大抵は二つの間にある様に思います。)実は、消費する事が悪いとも思っていない。流されるのは辛いだけだけれど、自分の形を作る事は、とても大事。日々変わる事、アップデートされる事も、大切だと思います。ただ、根を張る事と、アップデートしていく事は真逆の動きなので、中和して薄くなっている感じはしています。
言葉を尖鋭化させる事も大切だし、間口を広げる事も大事。よくよく、注意しないと、危険なものだとも思います。

売るという事は、対価を支払って、時間も手間もかけて、合意する事。表現に重きを置くと、別に売れなくても良いっていう話にもなるんだけれど、道具を、買ってもらえる。表現に対してこれほどの評価はないと思っている。何十年も使えますよ。とか言って、人様の人生に関与する訳で、すごく責任の大きな事だと思う。そのビジョンや世界観、未来像や物のあり方が一致して、初めてお金と物の交換が行われる。すごいなぁと思います。表現という次元では多分、どのくらい正確な合意がなされているか。という所に作家の手応えがあって、文化やファッションの力が強大な現場にあると、作家の言語がどんなに弱くても、その強大なサポート(正に虎の威を借る様に)売れてしまう事がある。商売としては、どんどん流行らせてどんどん売りましょうという所でしょうが、作家という肩書きを成り立たせようとするなら、そうなっては殆ど死に体だな。と思う。
いまの時代は、文化よりファッションの方が断然売れやすいらしい。新しい、目新しいものが非難され続けた時代もあったのだとは思います。

それから、土地によって、空気や慣習に違いがあるのも、大切だと思いました。その嗅ぎ分けとか、地の利の活かし方というのは大切で、どこでも同じようなものが増えると考えるはすごく一極支配的で、怖い。コピーのコピーの劣化コピーが増えるという事だと思うんですよね

とか、とりとめもなく考えながら、反映したりしなかったりして制作をしている展示のお知らせです。

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・「handed」
日時:7月6日(水)〜7月24日(日) ※11(月)19(火)
時間:12:00-20:00/最終日17:00迄
場所:digginer gallery workshop
※17日はワークショップ開催

・「サイとあの鳥」展
日程:7月8日(金)〜7月16日(土) 火・水・金・土曜日のみ
時間:火・水・金・土9:00〜17:00
場所:いな暮らし
おなじみ、絵描きのJun sasakiくんとの展示です。たのしくなりそうですよ。

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他にも、色々ありますが、後程公開します!

今年は今のところ、気温や気候に極端な感じがありませんね。健康です。

Degi Hari

山形、で感じた徒然と展示のお知らせ

山形の、群言堂さんでワークショップをしてきました。
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人生三回目の山形でした。夜行バスで行ったので、朝から開いている観光スポットは寺社仏閣、という感じで、朝から山寺に上ってきました。雨が降ってて、霧ばかり。神秘的でした。(山形城も、攻められた際に霧がでて守ってくれたそうで通称、霧城と言います。)

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出羽三山があるだけでも凄いんですが、山寺の岩を削り出しての仏像や経文の数々は圧巻でした。お寺の説明に宗教文化の殿堂と書いてあって、大きく出たなぁと思ったけれど、この山岳信仰と仏教の混淆ぶりは真に迫っていますね。今更ながら。清和天皇の宝塔も良かったです。

 

 

 

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市内も、たっぷり観光できたのですが、楽しかったです。擬洋風建築という、日本の大工が西洋を模して造った建築が有名だそうです。特に済生館、文翔館、はとても見ごたえがあります。

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旧県庁。初代県知事は、鬼の異名をとる程、土木を進めたそうです。
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済生館。擬洋風なので、堂々と和式庭園

中までは見られないので詳しく言えませんが、看板建築の様な古いもの、使われている蔵も市内に点々と見つかります。洋館があり、資料館か何かかと思ったら、現役の病院だったり。

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眼科
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良い教会でした

現役の古い喫茶店なんかもありますが、レトロという言い方は好きじゃない。辞書を引くと、復古という意味が出てくる。要は、失われたものをまた見直そうじゃないかという事で、肯定的な意味にも取れるけれど、こういった脈々と続く意識や在り方がそのまま生きている場所では、復刻よりも、寧ろ受け継いでいる文化だと言っていいように思う。

全国的にリノベーションなんかも流行っていますね。古いものを素材として再構成するか、そのまま有効な力や味わいとして残すかという時、どちらが良いかという問題があるけれど、いわゆるレトロ、と言っているものは現在の揺り戻しでやっている訳だから、形骸でなく、呼吸をしているものはそのまま生かす方が理に適っている様に思う。

城がある頃のメインストリートの辺りに、いまでも若い人のおしゃれなお店や個人のお店が集中していて賑わっていて、何だか嬉しくなります。

芸工大があって、芸術方面も盛んです。ビエンナーレもあるし、これだけ独自の文化圏だから。と、日本画でなく、東北画というプロジェクトもある様です。東北学なんかも有名ですね。

山伏の、坂本大三郎さんの店やギャラリーのあるとんがりビルも、なかなか尖がってます。

 

しゃれおつ
しゃれおつ

と、そんなことを思っていたら、直近の展示は、古くから続く仕事や、土地に根付いた仕事を大切にしているお店になっています。伝統っていうと、保守的だったり固執するイメージもあるんだけれど、周りの敢えてその道に入った人は寧ろ単純な合理性や気持ち良さだったり、色々見た結果、力や可能性を感じて、など攻める印象が強いです。立っているだけで大変な世界なので。深く考え、意識の強い人が多いように思います。

 

・「まいにちの台所
日程:4/23(土)-5/15(日)
時間:11:00-18:00 ◎最終日5/15(日)のみ17:00で終了
場所:手しごとの器・道具 テノナル工藝百職

 

・「ほうき展」
日程:4月16日(土)~25日(月)
時間:11:00〜19:00
場所:knulp AA

よろしくお願い致します。

 

 

おまけ。箒屋さんも、覗いて来ました。
おまけ。箒屋さんも、覗いて来ました。

追記

などなど、ググったら、山形の変化を憂う写真サイトを見つけてしまった・・・貴重ですね
http://ht9901.web.fc2.com/index.html

春の展示

すっかり、更新ご無沙汰しております。
展示のお知らせです。

・「春のくらふと市」
日程:3月5日(土)~20日(日)
時間:午前11時~午後6時
場所:大泉生活文化研究所/時遊空館●SPACE結

・isetan mingei
日程:3月9日(水)~3月15日(火)
時間:午前10時30分~午後8時
場所:伊勢丹新宿店 五階ウエストパーク
※中津箒みんなでの出展(なので、あんまり私の物は多くないかもです)

・神楽坂暮らす。 グループ展
日程:3月18日(金)~31日(木)
時間:12:00-19:00
場所:神楽坂 暮らす。

・「ほうき展」
日程:4月16日(土)~25日(月)
時間:11:00〜19:00
場所:knulp AA
ここも、中津箒みんなで出展します。いつもお世話になっております。

 

 

他にもちょこちょこ、中津箒みんなで出展しているイベントにいたりいなかったり。

それから、今週日曜、青梅のカフェころんさんで一日カフェをやります!
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会場のちゃんちき堂さん、めっちゃ素敵なので、遊びにきてください。
私も、ハードコアに提供します。

最近は、短歌の本ばかり読んでいる・・・
初めてなんですが、辰巳泰子さんという方の結社誌「月鞠」に寄稿させて戴きました。
(絵と短歌。カフェにも、持っていくと思います。)
所謂結社という様な堅い感じや、縛りは全然ないのだけれど、背筋が伸びる感じです。

仏教の本読んでるのもそうなんですが、独りで立つ事ばかり考えている感じがする。不安感は全然ないんだけど、もっともっと、ぶれない背筋だとか、透明度の高い視点だとか、深い見識を欲しがっている感じ。(とか、色々いってますが、制作も休まず必死にやっております 笑)

世の中とか、環境がごちゃごちゃしているのは多分間違いなくて、脚力が必要だ。ってのが本能的に出ている気がする。一切皆空でござる。

イロハニホウキ展(コーヒーの話ばかりになってしまった)

ケトルDM

27日から、東府中のketlleさんで、展示があります!
(相模湖のたねまめさんも、30日まで開催中です)
カッピング教室や試飲会にしばしば行ったりする。ので、勝手に描いていたテイスティングイラストも展示予定。(きっとここでしか披露する機会はない事でしょう・・・)

念願の、というと大袈裟なのですが、普段からコーヒーは、ここ(もしくは下北沢の本店エクスリブリス)でしか買っていません。

普段より、理念や理想というものは、実際の暮らしに着地した時に初めて価値が生まれると考えているもので、道具と同じくらい、食べ物飲み物に関心があります。
正に、命の根幹。

色々な食べ物飲み物の中でも、特に、ここのコーヒーは、自分の憧れるような形態で売っていました。

スペシャルティコーヒーの専門店なのですが、抽出方法はフレンチプレスです。
日本にコーヒーが入ってきたばかりの頃は質も輸送も保存状態も良くなかったとの事で、温度、淹れ方、色々発展してきたそうです。ここに行くまでは、複雑で、硬派な職人さんのイメージがありました。
対するフレンチプレスは、ボダム社がキャラクターに猿を起用するくらい、簡単な淹れ方。お湯を注いで、金網で濾すだけ。豆の旨味や油も全てが出る方法で、その分エグミや苦みも出る方法。だけれど、そもそも木の実なので、未成熟や腐敗した物をきちんと除いてあり、適切に焙煎してあれば、悪い味はそもそもそんなに無いという話で、とても合点が行きました。実際、物によってはコーヒーというよりジュースみたいです。

勿論、良い豆で淹れればどうやっても基本は美味しい筈で、色々なやり方で濃く出したり絞ってだしたりするので、色々あって然るべきだと思います。
ただ、良いものは良いものなので、余計な事を考えずにそのまま受け取れば良い。と、淹れ方や拘りの話はそこそこに、豆の味の面白さや、農園の話なんかをたくさん聞かせてくれて、真っすぐで、とても愛情があるなぁ。と、元々コーヒーは飲めなかったのですが、すっかり通うようになってしまいました。
(豆の質に関しては、スペシャルティに沿った内容ですが、各国のスペシャルティ協会ではかなり客観的で理に適った評価基準が採用されていることだったり、農家の適正価格や発展という事を、倫理としてもビジネスとしても順守している様なので、とても気持ちが良いです。)
ライフスタイルとか、支援じゃなくて、単純に良いものを。と考えたら、この様な仕組みになっている所が、スペシャルティコーヒーかっこいいと思っています。スペシャルティ協会の開催するカップオブエクセレンス、80点以上でスペシャルティだそうです。

ブルマンとか、プレミアムの価値がついて値段が高いものとは違って、流通量があれば、美味しいのにお手頃だったりするのも嬉しいです。ものづくりでも、そういう事ありますよね。

素材を活かして、シンプルに、深く味わえるものを、という様な、仕事をしたいなぁと、思っています。

お店の方も、面白い感じなので、楽しい展示にしたいなぁと画策中です!

ワークショップもあります。
何卒、よろしくお願いします。