個展のお知らせ

b0340858_17240585

すっかり、更新しておらず。
暖かい新年ですね。心なしか、身体も軽い感じがします。
日々、積み重ねていく仕事ですが、節目は大切にしたいと思っています。
今年も、よろしくお願い致します。

 

1月8日(金)より、相模湖のたねまめさんで個展があります。

【展示概要】

吉田慎司 箒展『ほうきに編み込む物語』
日時:2016年1月8日(金)~1月30日(土)毎週金土のみ8日間
1月16日(土)豆ほうき作りワークショップと短歌朗読会×昭和歌謡Dj 開催
詳細はこちら→

古家カフェ+ギャラリー たねまめ
神奈川県相模原市緑区若柳1170
ランチタイム 11:30-14:30 (要予約)
カフェタイム 15:00-17:00
※企画展中はギャラリーのみのご利用もできます
tel.042-684-9637
http://tanemame.bitter.jp/

 

 

 

オーナーさんは本好きな方でもあるので、何か文学と絡めた展示を、という事で、歌人の石川美南さんの「物語集」を引用した展覧会にする事にしました。

某アーティストの方に、「メディウムの様ですね」と言ってもらった事があるのですが、自分でもそう思います。好きなものは色々ありますが、一直線に惚れ込んで、というよりは、物と物の関係に関心が高くて、相対的に見て魅力を感じる事が多いようです。すごく平たい言い方をすれば、暮らしに寄り添った、出来るだけ単純な道具が良いなぁ、一番伝わり易いのではないか。と思って箒を作り始めました。短歌も、めちゃめちゃ面白かったというのもあるのですが、やはり、今の自分に必要なのではないか。と思って、色々顔を出しています。

これは個人的に、いまのクラフト界隈に必要だと思っている事なのですが、短歌では、鑑賞する際の読みや解釈の探求(またそれらを実作へフィードバックさせること)がとても自然な事として行われている様に思います。元々、明治頃までは工芸や美術という言葉はなく、様々な芸術が茶室でごっちゃになっていたそうで。器や屏風に詩歌が描かれていたくらいなので本当は自然なことなのかなぁとも思っているのですが、作品達が厚みを持つ事や、そのための批評の場は不可欠だと思っています。また、作品を掛け合わせるというのは、解釈の一端になるでしょう。

やり方が安直な様ですが、実用として特化しているものが詩として浮遊出来る事や、逆に、日々の暮らしの中に詩歌が生きるような世界は、とても豊かな事ではないかと思っています。(歌人の方の多くは、実際、歌の世界に生きていますが・・・)

石川さんは、とても活躍されている方なので、私の展示にお借りするにはあまりに恐れ多い方なのですが、勉強会でいつも優しくして戴いておりまして、お願いした次第です。まさかの、朗読会まで開催して戴きます!

たねまめさんも、とても素敵な古民家。ぜひぜひ、ご高覧ください。

 古民家カフェ+ギャラリー たねまめ

山羊の木 (石川さんの、活版印刷と短歌のユニット)

前に向いているシーン

Degi Hari

なんだか色々思ってるんだけど、なかなかまとまらないなぁと思っていたら、うっかり当日になりそうです。あぶないあぶない。

今週末は、工房からの風。ワークショップ&風人(というサポートや盛り上げ役・・・とまとめてしまっていいのか分からないですが)で参加します。

 

工房からの風、おすすめです!(毎年定例の書き込み 笑)

 

出展自体は4年くらい前で、段々記憶が薄くなりそうなんだけど、すごく、肯定された気持ちだったのをよく覚えています。長くやっている場所だし、中の皆さんが本当に(驚くほど)作品に入り込んで、喜んで、関心と愛情を持って紹介してくれるので、お客さんも、それについてきてくれて、関心の高いお客さんが多いのだと思います。(簡単に言いすぎる感じですが・・・)

 

最近気づいた(前から言ってたかな)んだけど、作るの好きというよりは、自分のやった事で何ができるか、何が起こるか、今後どうなっていくかってのしか興味が無くて、多分山奥で自給自足とか絶対できないタイプ。(人と分断されてしまうと目的を失ってしまうので)それでどうなるかって言うと、作品や、現場の文脈しか見なくなってきます。それで、音楽とかファッションでよく使う言葉かもしれないんだけど、シーンが大事だな。という結論になります。

 

ちょっと特殊な立ち位置なのかなぁとも思うんだけど、職人ではなくて表現者の立ち位置からすると、これは当然の事だと考えます。世界がどっちに動いてて、みんながどこに向いてるか。言うまでもないけれど、手仕事で同じ物作ってても、江戸時代と今じゃ全然反応が違うように、アフリカと日本で発表するんじゃ価格も使われ方も違うように、展示会場ってのは作品の及ぼす意味(作品の価値や大切さとは関係なく)の大半を握っているので、やっぱり、シーンにはかなり敏感じゃないといけないなと思います。

最近、特に手作り関連の物や事はどんどん増えているので、言葉を間違いなく汲み取ってくれる人、長い視点で付き合ってくれる人というのが本当に貴重な時節だと思います。

 

手仕事だから良いよねって位でまとめられてしまうと、思いを込めている方としては殆ど踏みにじられるような思いだと思います。人生を賭けて仕事にしている人は、掬いきれないくらい、色々な感情や考えを詰め込んでいるはずです。(ただ楽しく、趣味で作るってのも、とてもとても豊かな事で。全く否定の余地はないんですが、やはり、自分の全てを賭けてやっている人とは、分けて考えねばと思う。)工房からの風は、明快に、プロとしての仕事、全霊を賭して作品と向き合ってくれる人を広く集めるようにしている場所なので、そういった場所とは縁遠いというか、全く逆を目指していて、出展した人ほどわかるんですが、出してるベクトルの強さが、いつも凄い事になっております。

 

色んな方向を向いている人がいる世の中で良いんですが、やはり、佳いものを作ろう。続けて行こう。と、前面にだしている場所は、なかなか得難いと思う。良いなぁと思うシーンは、より強くなるよう、推して行きたい。広げたい。という事で、今年も、楽しく、風人させて戴きます。

 

・・・などなど、良いお仕事してるなぁ!って人は、たくさんいらっしゃるんですが、有難い立場で参加させて戴いているのもあり、色々書きなぐってみました

 

当日は、きっと良い天気ですね。紹介ページはこちら→click

おひつを買う時に考えた事

最近は、 中津箒みんなで出展する事も増えまして、忙しくさせてもらっています。(全てに出ている訳ではないですが…!)詳しくは、中津箒HPをご覧下さい。(丸投げ 笑)

 
おひつについてしばらく考えていました。何でも、理由が定まらないと物も買えない人で、上手く整理がつかなくて、買う買う詐欺みたいになっていました。
なんの文献とか裏付けもないんですが、買う前に考えた事。

まずビジュアルと存在からして素敵なんですが、気になった事に、これは贅沢品なんだろうか。という事がありました。ボールでも良いやとか言い始めたら、100円で買える。
でも、元来家庭に必ずあった物で、皆が揃って同じ贅沢品を買う趣味だったとは考えて辛い。高いとしたら、その分何かしらの価値があるはずだ。価値を説明する際に、機能性の高さは説得力の一つだと思います。鍋であれば、蓄熱が良い、熱効率が良い、丈夫。刃物であれば、良く切れる。ずっと使える。など。おひつは、ご飯が美味しくなる。保存に適する。という事が第一だと思います。その他、大家族の農家においては、朝にまとめて炊いて、お釜を空ける。という用途もあったのでは。という話もしましたが、炊飯器で炊く現代では、あまり関係ない話の様に思えます。
思った事1 お米が大切だったのでは

じゃあ、同じお金を使って美味しい米を食べるだけならば、普段の米よりも良い魚沼産コシヒカリを買うのと同じ事なのだろうか。それも違うと思った。

ここは、お米への敬意があったのではと、推測しました。これも体感よりは、聞いた話にしかなりませんが、一粒の米も無駄にしない。というのが、古くからの日本の考え方だったようです。現在の貨幣同様に扱われていた米。庶民は口に出来なかった米。を考えると、貴族や武家で米を食べる際は、土間で煙に塗れた羽釜から直接器に盛るという事はせず、丁重に、容れ物に移していたのではないかと考えるのが普通ではないか。

その大切な米が、時代の変化と共に庶民の口に入って来たと考えると、米の価値が下がりぞんざいに扱われるのではなく、やはり丁重に、少しでも美味しく食べられるよう、何かに移すのでは、と考えるのが自然では。と思いました。
思った事2 実は高くないのでは

おひつと共に使われていた米の保存方法は、飯カゴだと思います。夏場は、布に来るんで籠に入れて、軒先にかけておく。乾燥しない様にして、風通しの良い所に置く。最小限な手間の方法だと思います。ただ、籠に下げようと思って、いま籠を買おうとすれば、国産ならばやはり数千円じゃあまず利かない。考えてみれば、当時は国産材、手紡ぎ、手織りの服しか着ていなかったし、オーガニックな食事と暮らししかしていなかった。(その分、信じられない位に使い倒していたし、ひもじい思いをしていた。)

現在の我々にしたら、当時は高級な物に囲まれている。逆に言えば、おひつの値段が正当で、他のボールやインスタント食品の値段全てが異常という言い方も出来るのではないか。(勿論、その仕組みを作る為に、大変な苦労をしたひとがたくさんいたわけですが)

二つの仮説を鑑みて、食べ物へのリスペクトが根底にあるとすれば、(もしくは、この推測がまと外れでも、幾らかその要素を備えているとしたら)それは素晴らしいものだと思いました。ジャンクなものや、使い捨ては結果的に効率が悪い。慈しむ暮らしをしたい。と考えて、手仕事に携わっています。

そして、ものづくりや価格の在り方。輸出入やプロダクト、この為に、どれだけの努力の歴史があるかは、想像する事も出来ませんが、歪みやリスクは、日々直面している問題だと思う。国産材、環境、循環、全てに向かい合う気概が込められているのではないか。

日々や、土地を慈しむ。というと、かなり抽象的な感じですが、個人的に言わせてもらえば、これは趣味やブームではなくて、今後の社会や世界に必要なもの、欠けているものだと思う。おひつは、贅沢品なんかじゃあない、人生に、必要な物だ!と、解釈して、購入しました。これからの世の中に対して必需品。

…などなど、買物一つでこんなにうだうだしてるので、とても楽しく暮らしています。

あと、米については少し調べようと思います。

七月の展示+最近考えている事。

ぞくぞくと。

・「小さく便利なほうき作りワークショップ 」
日程:7月5日(日)
時間:12:00~15:30 ※予約制
場所:COOK COOP BOOK
こちらは予約制なんですが、料理本やキッチンスタジオのある素敵なお店です。
いくたび料理本買ってる・・・

・「シロ.出張販売 in teto」
日程:7月16日(木)〜7月20日(月)
時間: 12:30~18:30
場所:Ceramic room teto
国分寺の、シロ.さんとの二人展。
オリジナルも出品予定です!
(DM目下制作中!)

・「府中市郷土の森博物館」 実演販売
日程:7月20日(月・祝)
時間:10:00~15:00
場所:ふるさと体験館※郷土の森博物館入館料200円がかかります。
毎度お世話になっています。博物館での実演です。
季節毎にいく感じなので、毎回風景が楽しいです。

・「詩情のある暮らし」
日程:7月25日(土)~8月6日
時間:12:00~19:00
場所:神楽坂暮らす。
こちらまたトリッキーな展示なのですが、俳句と、箒を組み合わせるという・・・
(DM目下制作中!再)
また、告知します。

・「暮らしのカタチ」※販売+ワークショップ
日程: 7月25日(土)
時間:9:00~18:00
場所:山形まなび館
大変規模も大きくなっております。カタチプロジェクト。
山形まで、ワークショップしにいきます!

 

■■■■■真剣である事と間口を広げる事■■■■■(恒例の長いつぶやき)

仕事柄、堅く、保守的な印象を持たれがちなのですが(だからこそ)どうしたら、幅広く、多くの人に触れて貰うかという事は、いつも気にする様にしています。

理想の形は、数多くあると思います。可愛らしく流行に乗るものあれば、どんなに高い技術を使っても需要に適わないもの。他者に関わらず日々耽々と鍛えられている物。

理想とは、どこに着地点を定めるかで決まる様に思います。長く、屈強な道具であろうとすれば伝統的な技法に学ばない訳にいかないと思いますし、より多くの人理解してもらい仕事にするには、時流に合わせ、転々とする事も一つかと思います。

簡単に右や左と分けてしまうのも宜しくないですが、良い物、しかし、人に触れてもらえるもの、と、意識的にバランスを取って来た様に思います。

何にでも二元論的な考え方は当てはめられるのですが、必ずどちらかになる。とも言えないと、最近は考えています。一見対立している物も、突き詰めれば境界はなくなる。善いと思われる事も、極限まで推し進めようとすれば、何らかの少数を押しつぶす側面はないか。悪いと思われる物も、純粋にその正当性と美学を突き詰める際、何らかの聖性が生まれはしないか。(など、バタイユなどの本に詳しいかと思います。)真にクラシックであろうとすれば、ある段階から模倣、研究、発見、と、自ずから未知の領域に踏み込む事もあろうし、常に新しい事ばかり考えようとしても、反復はある様式や固着と不可分の様に思います。

右も左も無い。という話になった時、どこに向かうか一瞬迷う様な事もあるも知れないけれど、それはそもそも我々の様な仕事には当てはまらない論法だと思っています。新しい、古いという事は現状に向けた、対症療法的な狭い議論であって、創作や新しい領域に踏み込もうという時には、相対的にうんぬんでは無い、時代や人を無視できる絶対的な物を目指す所であろう。と思っています。

と、感のいい方なら、ばれてしまうんですが、最近は、禅の思想が面白いなぁと、読んだりしています。もっと、清らかに、向かい合って行きたい・・・!

今後とも、よろしくお願い致します。

6月の展示。最近は美意識に興味があります。

Degi Hari

 

暑くなってきて、イベントラッシュも少し落ち着いてきたでしょうか。
(注文など、お待たせしている皆様すみません。少しずつ、消化していきます。)

■6月の展示・イベント
HOUSE YUIGAHAMA 「ちいさな箒作りワークショップ」
日時:6月13日(土)
時間:10:30〜/12:30〜
人数:各回四人
参加費:2000円+ワンオーダー

・「中津箒の初夏のおそうじ展」 ※中津箒みんなでの出展ですが、幾つか。
日程:6月20日(土)~7月5日(日)
時間:12:00~20:30(最終日17:00まで)
場所:ソコノワ FUKU&ZAKKA

・「暮らしのカタチ
日程: 6月18日(木)~6月21日(日)
時間:11:00~19:00(初日13:00~/ 最終日16:00まで)
場所:ココラボラトリー(秋田)

秋田をモチーフにした作品出します!(HP参照)

・「吉田 慎司 の 手しごと展  ~中津箒~
日程: 6月4日(木)~6月30日(火)
時間:11:00~19:00(水曜定休)
場所:gallery shop SORA

初の、鳥取まで出張ワークショップ!
鳥取、良い街です。

7月も、幾つか展示があります。

■最近考えている事

普段から、思想書や哲学書をよく読んでいるんですが、最近、単純な探究心というよりは、狙いをすまして美術の歴史や美学なんかにも手を出し始めました。(今更)

自分では良い事だと思っているのですが、欲をかき始めたというか、居場所が少し狭くなっているのかな。という感じかと思います。
なんで箒なんですか?っていうのは、一番聞かれる質問な気がしますが、当時、暮らしをみつめなおす事。実践的な道具である事。など、目指したい事は決まっていたものの、仕事になるかとか、受け入れられるかとか、全く見込みなく始めていました。
今でもですが、伝えたい事と心中するつもりで初めたもので、色んな所に呼んで貰えたり、忙しく出来ているのが本当にありがたい次第です。

とても有り難い。でも、夢の様とは思っていないんですね。それは、作家になる事が目標ではないからだと思います。人がより豊かに暮らせる様。良い物が良い物として流通する様。など、生き方や社会の在り方を目的にしてきました。自分の芸術観に依れば、これまでずっと、芸術や宗教、思想、科学はそういう平和を目指してきた物と思っています。そういう方法を模索する過程で、より生活の根幹に触れる為の民俗があり、広く受け入れてて貰う為のクラフトがあり、より深く伝える為に、展示や実演、ワークショップを多く行って来た様に思います。

幸いにも、何気なく始めさせてもらった箒でしたが、色んな所に出られるようになったなぁ、気づいたら8年もやっているんだなぁ。と思った時に、言葉が止まっているのではと思う時がありました。多くの人に、手の力や、文化や、生き方に向き合って欲しい。言うなれば、1つ1つ手渡しで伝えていく過程にいて、これだけ広い日本、情報の溢れる世界で、言葉を伝え尽くす事はあり得ないと思います。腕もまだまだ磨く余地がある。しかし、これだけクラフトのイベントや作家が増え、規模が広がっていく中で、たくさんのイベントに出て、ルーティンや繰り返しを感じない事も難しい状況にある様にも思います。

どうやったら、みんなで前に進む事が出来るか。しばしば考えています。眺めてみると、思想や表現が、こんなに混迷の中にあるのは歴史上なかなか無いのではないかと思います。封建的な物や、階級的、体制的な拘束が、つい最近まで言葉や表現に付き添っていた様なのですが、幸いにも自分は殆ど触れた事がありません。本当に、長い時間をかけて、多くの人たちが自由や、平等や、個々の権利を勝ち取ってくれたのでしょう。何でも出来て、自由で、全部が許されているんじないかと思います。ただ、革新やムーブメントは、言論なしに成立しないものだとも考えます。(言論、とは、現象をカテゴライズする事だったり、差別化する事だったり、規則性を持った文脈として統一するという意味で使っています。)
これはこういう物だ。これとは違う。と、決めてしまう事は、そのものを凝り固まらせ、殺してしまうことだと思います。しかし、解釈をして、重ねていくからこそ、歴史には流れが生まれる様に思います。何か分からない物に向き合っても、次に何をしたら良いか分からない。(勿論、圧倒的な感性で、どこにいても飛躍する様な方も極たまに見かける様に思うのですが、自分はそういうタイプではないようです)

特に、何かを批判しようとか、傷つけようなどというつもりは一切ないのですが、美意識の起源であるとか、理由や必然があまり語られていない様に思っていて、少し、勉強し始めています。意外と、繋げて遡れるもので、楽しんでいます。

具体的にも色々あるんですが、長いので収めます。

春の出展 と 最近考えている事

04hikari

続々控えております。
※蚤の市、井のいち、手創り市は、中津箒の皆で出展しております。

一列に並べすぎてあまりに節操がない感じなのですが、また近々、個々にお知らせ致します。(画像は、ヒナタノオトのDMです!)

忙しくさせて戴いて、本当に感謝感謝の日々です。

人に伝えたい、繋がりたい一心で仕事を始めたもので、多くの場所に出展できるのは、とても嬉しい事です。腕も上げたいし、もっと良い提案にも工夫を凝らしていきたい。その為、外に外にという意識が強力なのですが、これから自身の向上の為には、内に向かって、山籠りする事も必要なのかなぁと思い始めています。
あんまり自分の事には関心が無いのですが、人が何を考えているか、どこを見ているかには強い関心があります。自分は白が好きでも、必ず黒もチェックする癖がついています。そうやって、出来るだけ世の中全体を把握して、バランスを取ろうとしているのだと自分では思うのですが、バランスを取るという事は、周り全体が変わらない限り、自分もある程度の所から動けないんじゃないかなぁと、自覚し始めているんじゃないかな。
ある事の境界に踏み出すと革新で、完全に飛び出すと異物になるそうです。
伝わらないとしょうがないと思っている自分にとっては、かなり勇気がいる事なのですが、もっともっと煮詰めないと見えない領域があるなぁと薄々感づき始めているのだと思います。
籠ったり出たり、バランスのバランスをとると言う感じでしょうか。
(元々、変わり者と思われがちな様ですが・・・←全然ぴんと来てない。)
大変抽象的であれなんですが、もっと、何でも遠慮せずに突き詰めていきたい。
と、思っています。変に器用なんでしょうね。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

・「暮らしのカタチ カタチプロジェクト×東北の手仕事」(東北コラボ作品のみ)
日時:4月4日~4月8日
時間:11:00~20:30 (最終日は17:00まで)
場所:ギャラリー林檎の木

・「日々のヒカリ、一粒のヒカリ
日程:4月17日(金)~5月10日(日)
時間:平日 12:00~19:00 土日祝  12:00~18:00(木曜休み・最終日16:00まで)
場所:ヒナタノオト

・「きれいに暮らす
日程:4月25日(土)~5月10日(日)
時間:11:00~18:00 ※最終日は17:00まで
場所:手しごとの器・道具 テノナル工藝百職

・作中、ほうきが使用されています。
特集ドラマ 『紅雲町珈琲屋こよみ
2015年4月29日(水・祝)NHK総合テレビ
午後7時30分~8時43分

・「 &SCENE手創り市 ワークショップ:ほうきをつくる
日程:4月26日(日)
時間:各回予約制
場所:養源寺・本堂前ワークショップスペース

・:ディギナーギャラリーワークショップ
日程:5月2日(土)
時間:12時〜17時
場所:ディギナーギャラリーワークショップ (自由が丘)

・「東京蚤の市
日時:5月9日(土)10:00 ~ 16:30
5月10日(日)9:30 ~ 16:00
場所:東京オーヴァル京王閣
※入場料400円

・初夏の部屋
日程:5月13日(水)~18日(火)
時間:11:00~18:00(最終日16:00まで)
場所:space koh (西武柳沢)

・「井のいち
日程:5月31日(日)
時間:午前9時~午後4時 (雨天決行)
会場:石神井氷川神社

まだ非公開の様ですが、トークイベントの予定もあります!
6月も、楽しみな企画がありますので追々。

何卒、よろしくお願い致します!

【読書】孤独なボウリング

社会関係資本、とは、地域の人々の信頼感や、関係を示す言葉です。

ロバート・パットナムがこの本を出す前からあった言葉の様ですが、「孤独なボウリング」は、膨大なデータを分析して、社会関係資本の推移や結果を示し、ベストセラーになった本です。2000年に刊行、日本では、2006年に翻訳されています。

 

地域活動が盛んって良いよね。みたいに、曖昧に話をする事もあるかも知れませんが、この本では、データによって、地域の信頼性の低い場所では幸福感が低く、教育水準も低下し、治安も悪化し、幸福感、政治参画も低下すると示しています。

何故コミュニティが崩壊したのか。それが本当に原因なのか。証明する事は難しい所ですが、これらを見ていくと、状況から、かなり妥当らしい事が分かってきます。

 

また、その原因は何なのか。これも特定は難しい問題ですが、ボランティア、地域活動の参加、知人との交流などが低下した人々の共通点に、

・時間と金銭面のプレッシャー

・郊外化、長距離通勤
大きな原因に

・テレビ視聴

・世代変化(一番大きい要因なのに原因不明。ってのもどうかと思いますが)

が示されています。

町の知ってるおじちゃんから買い物したら色々買ったりとか、井戸端会議で町の話をしたり、飲み屋で政治の話をしたり。簡単に言えば、そんな事なんだと思います。

全ての事が、人との関わりで出来ていた物から、私事化されていく様、幸福度の下がっていく様を、膨大なグラフと情報で示しています。

この本のまとめでも宣言されていますが、市民参加は多い方が良いし、信頼出来る人に囲まれて暮らす方が良い。気の合う仲間と集える事は幸せな事だし、テレビやネットがあっても、人は孤独になる必要はない。イベントや、お祭りは傍観するより、参画した方が楽しい。

当たり前のことかも知れないんですが、体系立てて、問題や意味を俯瞰するというのも大切だなと思います。我々の仕事にしても、見た目や流行、という事よりも、直接手渡せる暖かさ、信頼という価値は多分に含まれている様に思う。手を変え品を変え、というよりは、深く長く、人が繋がるような仕事をしたいと思っています。

【読書】野生の思考

「野生の思考」は、1962年にフランスの人類学者・クロード・レヴィ=ストロースによって書かれた本で、構造主義の火付け役とも言われています。

 

構造主義のきっかけや、サルトルとの論争の本としても大きな役割のある本ですが、個人的には「野生の思考」というタイトルになっている言葉の意味自体に大きな意味を感じました。

 

『「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。効率を昂めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である。』

レヴィ=ストロースは人類学者で、たくさんの原住民や森に暮らす民族の習俗や文化を比較、研究していますが、研究における彼の立ち位置を説明する事に多くのページを割いています。西洋の歴史の中では長い間、多くの原始社会を支配する、差別的な志向が中心でしたが、科学的な思考方法と対等、場合によってはそれより優れた知恵や文化を持った思考として、原始社会の思考を説明しています。単純に、我々より多く、植物や動物を分類して生活に活かしているという話もありますが、神話や習慣など、我々が理解しがたい事も、科学とは目的と手段の違いでしかないという事を強く主張しています。

 

『科学者と器用人の違いは、手段と目的に関して、出来事と構造に与える機能が逆になる事である。科学者が構造を用いて出来事を作るのに対し、器用人は出来事を用いて構造を作る』

『この二つの道は、少くとも理論的には、そしてパースペクティブに突然の変動が起こらなければ、当然合成して一つになるべきものであった。これによって理解できるようになるのは、この二つの道がどちらも、時間および空間の中において相互に無関係に、まったく別々であるがどちらも正方向の、二つの知を作り出したことである。一方は感覚性の理論を基礎とし、農業、牧畜、製陶、織布、食物の保存と調理法などの文明の諸技術を今もわれわれの基本的欲求に与えている知であり、新石器時代を開花期とする。そして他方は、一挙に知解性の面に位置して現代科学の淵源となった知である。』

 

大胆な意訳を許してもらえるならば、科学的な思考は、現象の仕組みや法則を明らかにしてから何かを実践しようとするのに対して、野生の思考は、手持ちの物(創り出した神話や環境にある自然素材など)を用いて、実践から仕組みや法則を作り出す。といえるのではないでしょうか。簡単な例で言えば、科学的な知識が全く無くとも、食物の毒抜きをしたり、屈強な構造の建造物を作り上げたり、自然物を構成して必要な道具を作り出すような事です。(特に、日本は西洋に比べて科学が導入される前の歴史が長いので、分かりやすいのではないでしょうか。)

野生の思考では、科学的な構造や普遍性ではなく、その周辺の環境に応じて世界を把握するので神話が流通する事になるけれど、科学理論とは目的と手段の違いしかない訳です。

 

『芸術哲学にとって本質的な問題は、作家が材料や製作手段に「話し相手の」資格を認めるかどうかである。』

 

芸術は、科学と野生、どちらも取り入れたものだという話もあります。人体の構造など、科学的なアプローチをしながらも、直接に物体を作り上げていきます。現代の生活においては、科学的な思考法や理由付けをする事が強くなっていますが、土地に伝わる習慣や話も、同様の説得力を持ち、実践においては強い効力を発揮する。こんな話をせずとも、芸術家や作家と呼ばれる人々の中には、理屈などはすっかり飛び越えて真実を描写したり、広大な世界を描く人が多くいますが、それらは才能という言い方もあれば、野生の思考に優れているという言い方も出来るのだと思います。科学的な理由や理屈に捉われる事なく物事に向かい合う事で得られる豊かさも、大切にしたいと思う次第です。

シロクマ. 今週末です。

10818612_589786301167875_1584567017_n  10815899_589786304501208_1380994569_n

シロクマ、事前につぶやいてもおりましたが、今週末です。
期間も短く、巨大な展示では無いですが、楽しくしよう!わいわいしよう!というテーマでの展覧会。
(勢いあまって特設サイトあります 笑 http://shinjiyoshida.main.jp/shirokuma/

最近は、本当に色々な場所やシーンに関わる事になって、忙しくさせてもらい、同時に目まぐるしさも感じています。絵の具の色が、何十種類も混ざって、結局おなじ色になってしまう様な感覚。それは、メディアの数や言葉が、爆発的に増えているせいもあると思います。
平たく言うと、クラフト、流行っているなぁ。と、ずっと感じている。

我々の仕事は、その場限りのものや、花火の様に散るものではなく、恐れ多くも数十年(もっと言って良いのなら、もっと先まで)見据えた仕事だと思っているので、周りの動きや評価に動かされない様な、根を張った仕事をする必要があるでしょう。

これだけ目まぐるしく、言葉の飛び交う世界で何か発言出来るだろうか。足場なんてあるんだろうか。不安になる事もあるけれど、きっと、常に手ごたえを確かめながら、向き合いながら、こつこつと手繰り寄せてしていく事が、一番確実である様に思う。

変わらない物を作ると言う傍ら、変わらない物なんてないとも知っている。
10年前の箒の意味と、今日の箒の意味は違う。今日手仕事と言われているものは、明日には少し形が変わっている。自分がずっと、いまの様な作り手でありたいと思っていても、何年か経ったら、すっかり違う場所にいる羽目になると思う。ただ、いまここで感じる、楽しい!素敵!これで全部!ってのは、今は本当の事。というのは間違いが無いと言える。

あんまり難しい事いわずに、いま楽しめるっていうのは、いまの時点では、何よりも確実な事だと思う。
長く続けていく為に、大切にしていきたいと思っています。

ロラン・バルト モード論集

ロランバルトが、モードについて論じた本です。シニフィアン(表示)、シニフィエ(内容)という様な考え方を基準に、モードを考察しています。

舞台衣装の項などでは、「衣装のモラルの基礎となるのは、いかなる場合もその劇作品の社会的身ぶりを明示することである。(略)この機能は、衣装の造形性やそれがかもしだす情緒といったものより、むしろ知的次元にかかわるものだ」「衣装の役割は眼を誘惑することではなく、納得させることなのだ。」などど、見た目の華やかさや面白さで満足する事なく、それらの意味する内容を重視した主張をしています。
(また、それらのルールや効果を調査し、体系的に考察すべきだという事を全編通して述べています。)

「モードとは、ある新作の集団的模倣である」「意味するものと意味されるものとの間の類比関係をすっかり失ってしまっている」「衣服の記号学は語彙論的なものではなく、統治論的なものだということであろう。」「モード雑誌は神話的使命によって、もろもろの記号を不動の本質として差し出す傾向がある」「衣服はつねに記号の一般的体系として構築されるとしても、このシステムの意味作用は安定していないということです。」

など、実物と、流布されているものに関連が無く、常に形を変える捉えようのないものという印象ばかりですが、その規則をとらえるぎりぎりの所まで攻めている感じはあります。

大切だと思うのは、これにより流行とは何なのかを曇りなく掴む事ではなく、仕事にしろ趣味にしろ、もれなく我々は流行の影響を受けていて、それは誰かの作為であったりもするし、掴めてもそれは日々流転するもので、常に誘惑に溢れているという事です。

流行を追いかけるだけで必死になる事もあるかも知れないけれど、それらを一つの時代の流れの中で、客観的に把握することが肝要だと思いました。