すごく主観的なもの言いなんだけど


※全然記事と関係ない、おばの父上の写真。かっこいい…

ものを作って人になにか出来る事があるとして、根本的なモチベーションとしては、人を喜ばせる(または豊かにする、幸せにするなど)と、何かを伝える(または守る、伝承するなど)があると思っている。(お金が欲しいと自己満足を除く)芸術全般、宗教から始まっていて、根本的な目的としては、人の幸せを目的としている(またはしていた)ので、喜ばせる。という事と、何かを伝え道理を説くのは、強弱はあるにしろ理念、政治的な行為だと考えている。(大体、評価の物差しも、自分にとって魅力的か、自分の考える理念に適うか、の二択だと思っている。)で、色々見渡した主観なんだけど、この2つのせめぎ合いとか、質と対象のミスマッチで、色々問題が起こるな。と思っている。

ただ実感として政治的な理由、これを伝えるべき!とか、守るべき!とか、理念の共通見解や同意を得るのは凄く難しい時代で、例え真っ当でも、興味のない人にはつまらなくて堅いと思われている。それに、多様性や個人の自由が根本にあるので、押し付けがましい話になったりして、凄く力として弱い。逆に、楽しかったり面白いのが大事!っていうのは同意を得やすくて、力を得やすいんだけど、衆愚政治、という言葉があるように、ただの快楽だけが拡大した時、人が幸せになったり、世界が調和するか。という疑問がある。やっぱり、両輪だと思うんだよね。色んな所で創作とかオリジナルとか言うんだけど、歴史を背負っていないメディアは無いと思う。どんな方法でも、政治性を備えてしまう。(この文だって、日本語文化や、理屈くさい文章や、テーマも芸術や思想の手垢でベタベタになっている)だから、そこらへんも踏まえないと、魅力としても強くなりきらないんじゃないか。本当に楽しくしようって思ったら、その意味や政治性(やメッセージ性、具体的には技術とか歴史だったりすると思うんだけど)も抑える必要があるし、何か伝えようと思ったら、それが人の喜びになってるか。が、大事だなって最近徒然おもっています。坂口安吾が戯作性とか言ってたけど、戯作性がないメッセージは押し付けだと思うんだよね。この記事は全然人を楽しませようとかしていませんが

とか、見知らぬ土地で作家さんとか職人さんとか、ミュージシャンとか、色んな人と話してたら色々思っちゃった。

全然、展示のお知らせとかしていませんが、9月に展示が3つ(?)くらいあったり、注文たまってたり、アトリエ移転計画(ビッグニュース!)があったり、レクサスプロジェクトやら某メディアやら色々あって、ゆるやかに忙しくしています。

また、矢継ぎ早に告知します。という、つぶやき

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