よみがえる子どもの輝く笑顔

遅ればせながら、初めて読みました。

天野秀昭さんは、プレーパークという遊び場の、最初の有給のプレーリーダーということで、子どもの遊び界隈ではとても有名な方です。

(特に接点もないけれど、大学のサークルの大先輩だったりする…!天野さんの足跡が、大きく残ったサークルだった)

冒険遊び場は、自分の責任で自由に遊ぶ!などが大きく掲げられていて、通常の公園で出来ないような遊び(木や枝を使ったり、穴を掘ったり、ロープを張ったり登ったり…。年齢、経験、関係なく遊びます。キャパシティは場所にもよりますが)をできる場所で、全国に何百箇所もあるそうです。

東京にいる時から、サークルも含めて子どもの遊びや活動には関わってました。引越してから、近くのプレーパークに関われてとても嬉しいです。

で、手仕事を生業にする事と、子どもの遊び場をつくる事。関わりがないようで、自分の中では繋がっていた。けれど、これを読んだら、すごく理論的にも繋がりました。

前半で多く語られている事に、子どもの遊びの規制による「子どもの規格化」への警鐘が多くあげられています。

これはダメ、あれはダメ。危ないから禁止しよう。という事を、法律の面でも、大人のモラル(の様な世論)でも厳しくしていく風潮。SNSが発達して、余計にそういう目線って増えてきたなーと個人的にも思っています。

なぜ規格化、一律、都市化するか?というのは、合理的で楽だから。という事に尽きるみたいです。騒がしい。予測がつかない。リスクがある。などを極力押さえ込んで行く事です。

で、この合理的、なるものが、子ども遊びだけではなくて、ものづくりとか、暮らし方全般、言うなら、人の生き方全般でも起こっていて、これは遊び場の本だけれど、自分のやってきた事、全部に繋がっているな。と思いました。

やった事のある人なら知ってるんだけど、自分で味噌を作るとすごく美味しかったり。薪でご飯を炊くとすごく美味しかったり。(精神的にもね)

服でも、家でも、何でもそうだと思います。

逆に、何でも可能な限りイージーに、イレギュラーなく暮らそう。と思ったら、全部コンビニとかで買い物も全部アマゾンで…って、全然悪いとは言わないんだけれど、それが豊かさの極致だとは思わないんですよね…。

(勿論そういうイージーな暮らし方が、コミュニティやコミュニケーションの面で危険だという話は、社会学の本でもよく見る)

ある詩歌の本で、詩は、合理的に生きながらえる事に反発する。という話がありました。あれはただの花。あれはただの太陽。とか、言葉で簡単にまとめてしまえば何も考えなくていいんだけれど、どんな花?どんな光?どんな世界?と、問い続ける様な所が詩にはある。何も考えずに、何も感じずに生きるのが最高!って人もいるかも知れないけれど、やっぱり、多く考えて、多く感じるのが豊かな生活だよなー、と、当たり前ながら思う。けれど、結構、世間の風潮としてはどんどんその余白を狭めている様に感じています。

ブレーキペダルなんかで、少しだけ踏んでも効かない余白がある事を「遊び」とか、言いますよね。手仕事とか、詩情を、遊びというと怒られそうだけれど、個人的には、そういう、ONとOFFの間や、過程、その質を耕していく事が仕事なんじゃないかなー。とか、思っています。

一杯コーヒー飲むだけでも、ちょろっと掃除するだけでも、色んなやり方と方法と感じ方と知恵と歴史と創作性と楽しみと豊かさがあるよな…という。事を、考えました。

道具を作ることは豊かな時間を、使ってくれる方の暮らしに、こそっ、とお邪魔させてもらう。という感じなのですが、個人的に、プレーパークは、遊び放題、解放区の様な空間がドカッと、出来てしまうイメージを持っています。(勿論、安全とか、地域との調和とか、めちゃめちゃめちゃめちゃ議論とか準備とかしている訳ですが…!)

全然、本の内容に触れてないんですが、色々すっきりしたので長くなってしまった…!

なんにしても、自分の手に土をつけて、確かめながら作っていきたい。だからあんまり、箒を作っている時と、子どもらとわーい!ってしてる時と、あんまり変わらないんですよね…!

うちの3歳の息子いわく、パパのお仕事は箒をつくる事と、おでかけする事と、遊園地に行く事だそうです。

間違いない