全体性と内蔵秩序

本屋では、複雑系と書かれた棚にある本で、初めて手に取りました。

作者のデヴィッドボームは、物理学ではかなり功績を上げたらしいです。この本は幾つかの論文をまとめたものですが、内容は一貫してタイトル通りの全体性について。そしてその世界観について説いています。細かい数式は理解できないもので学問的な強度はあまり実感できなかったのですが、30年ほど前に訳されたとは思えないほど説得力があり、ラディカルな考え方でした。

ざっくりと言ってしまえば、あらゆる物が分割可能で、小さく独立した物に解体出来ると言う考え方の否定。全ては流動的に変化をしており、分断不可能なものであると言う話です。人は昔から、世界が何によって構成されているのか考え続けており、原子や素粒子について研究し続けてきたけれど、古くからの原子論は量子論や相対性理論の中では適用出来ない。(量子論の中では原子は波動のようにも振る舞い、相対性理論の中でも原子は建築ブロックの様な剛体とは捉えられない。)我々一般が考える、全てが分割された塊の構成で出来ていると言う世界観は、ある限られた文脈でしか成立しない単純化だと言う話でした。(メジャー。度と言う言葉はメディスン・医学やモデレーション・中庸などの語源で、バランスや調和を示す物だったのが、洞察の一形式ではなく絶対的な尺度に変わってしまったと言う話も面白かったです。)

ボームは物理学者でありながら、分割不可能な全体性と言う考えを素粒子だけでなく、社会の形や思考など、それこそすべてに亘る世界観として扱います。

知識、思考、実在なども物理的な、機械的な作動による働きと考えがちですが、そうではない。思考していない物は、確固たる揺るぎない物としての実在と認識され、思考されるものは不安定で揺らぐものと認識してしまいがちだ。けれど、思考は脳の環境や生理的な反応も含んでおり、知覚に入ってくる物は思考や記憶に流入し、また環境の特徴に循環していく。思考と非思考は溶け合う物で、現実は過程であると言う話です。
(全体性を内容とする思考は、詩のような、芸術的な形態として考えねばならないと言う話も、面白いと思います。詩の語源はギリシャ語の作る、poieinだそうで、ニュートンが月もリンゴも同じ秩序で落下すると言う看取も、詩的なものである。と言っています。)

また、伝統的な、機械論的秩序にたいして、ある状況を作れば徐々に表れてきて実在を確認出来る様な、全体に埋め込まれた秩序を内蔵秩序と言っています。音楽を聞くとき、人は直接に内蔵秩序を看取しているとも言っています。

 

固まった主義主張に固執して問題が生まれる事はしばしばあり、本文の中でも、学問的な解釈だけに留まらず、あらゆる事に共通する世界観として提案されていますが、大切な様に思います。

物事をこういう物だ。と、固定して、定義付けをしていく事は理性的な様で、分からない物を失くしていく安心感に基づいている様に思います。反対に、物事が流動し変化する、区別など出来ない物だと言う考えは、常に物事を解釈し直し、探し続ける事にも繋がります。生存に関しても、文化的な事に関しても、常に対応、進化してこそ続いて行くものと思います。何でも、分かった気になると安心する物で。より向上心をもって、広い視野でいたいと思います。

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