野生の思考

「野生の思考」は、1962年にフランスの人類学者・クロード・レヴィ=ストロースによって書かれた本で、構造主義の火付け役とも言われています。

 

構造主義のきっかけや、サルトルとの論争の本としても大きな役割のある本ですが、個人的には「野生の思考」というタイトルになっている言葉の意味自体に大きな意味を感じました。

 

『「野生の思考」とは、野蛮人の思考でもなければ未開人類もしくは原始人類の思考でもない。効率を昂めるために栽培種化されたり家畜化された思考とは異なる、野生状態の思考である。』

レヴィ=ストロースは人類学者で、たくさんの原住民や森に暮らす民族の習俗や文化を比較、研究していますが、研究における彼の立ち位置を説明する事に多くのページを割いています。西洋の歴史の中では長い間、多くの原始社会を支配する、差別的な志向が中心でしたが、科学的な思考方法と対等、場合によってはそれより優れた知恵や文化を持った思考として、原始社会の思考を説明しています。単純に、我々より多く、植物や動物を分類して生活に活かしているという話もありますが、神話や習慣など、我々が理解しがたい事も、科学とは目的と手段の違いでしかないという事を強く主張しています。

 

『科学者と器用人の違いは、手段と目的に関して、出来事と構造に与える機能が逆になる事である。科学者が構造を用いて出来事を作るのに対し、器用人は出来事を用いて構造を作る』

『この二つの道は、少くとも理論的には、そしてパースペクティブに突然の変動が起こらなければ、当然合成して一つになるべきものであった。これによって理解できるようになるのは、この二つの道がどちらも、時間および空間の中において相互に無関係に、まったく別々であるがどちらも正方向の、二つの知を作り出したことである。一方は感覚性の理論を基礎とし、農業、牧畜、製陶、織布、食物の保存と調理法などの文明の諸技術を今もわれわれの基本的欲求に与えている知であり、新石器時代を開花期とする。そして他方は、一挙に知解性の面に位置して現代科学の淵源となった知である。』

 

大胆な意訳を許してもらえるならば、科学的な思考は、現象の仕組みや法則を明らかにしてから何かを実践しようとするのに対して、野生の思考は、手持ちの物(創り出した神話や環境にある自然素材など)を用いて、実践から仕組みや法則を作り出す。といえるのではないでしょうか。簡単な例で言えば、科学的な知識が全く無くとも、食物の毒抜きをしたり、屈強な構造の建造物を作り上げたり、自然物を構成して必要な道具を作り出すような事です。(特に、日本は西洋に比べて科学が導入される前の歴史が長いので、分かりやすいのではないでしょうか。)

野生の思考では、科学的な構造や普遍性ではなく、その周辺の環境に応じて世界を把握するので神話が流通する事になるけれど、科学理論とは目的と手段の違いしかない訳です。

 

『芸術哲学にとって本質的な問題は、作家が材料や製作手段に「話し相手の」資格を認めるかどうかである。』

 

芸術は、科学と野生、どちらも取り入れたものだという話もあります。人体の構造など、科学的なアプローチをしながらも、直接に物体を作り上げていきます。現代の生活においては、科学的な思考法や理由付けをする事が強くなっていますが、土地に伝わる習慣や話も、同様の説得力を持ち、実践においては強い効力を発揮する。こんな話をせずとも、芸術家や作家と呼ばれる人々の中には、理屈などはすっかり飛び越えて真実を描写したり、広大な世界を描く人が多くいますが、それらは才能という言い方もあれば、野生の思考に優れているという言い方も出来るのだと思います。科学的な理由や理屈に捉われる事なく物事に向かい合う事で得られる豊かさも、大切にしたいと思う次第です。

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