構造と力

やたら小難しそうな事を、しかも恐ろしく乱暴に無理やりにまとめているので、まとめ以降を読んだ方が楽しいかも知れません。

□□□□□構造と力

自分と同い年くらいの本ですが、当時、難解な内容の割にベストセラーになったそうです。ニューアカと言うやつか。

この本では、象徴秩序と言う物と、その作用が見えてくると、概ね内容は分かると言う感じかと思いました。

まず、人間は過剰であると言う事から始まります。人間は自然の物でありながら、動物の様に欲求のまま生きる事は出来ない。自分や仲間を傷つけたり、わざと自分を苦しめたり、規制をかけたりする。ジェノサイドもある。シェーラーは、「おのれの衝動不満足が衝動満足を超過して絶えず過剰である様な(精神的)存在者」を人間としているそうです。

贈与の一撃と言う言葉があって、純粋な贈与ではなく、人に何かして貰うと、様々な環境や関係から、利益だけでなく恩義や義理も貰う様になる。数えきれない人間関係と繋がりで混沌となった社会で、それら過剰を一身に受け止める物が出てくる。それが象徴秩序となる。それが、原始社会では祝祭であったり、王政であったりする。(超コード化)

更に貨幣経済などになると、脱コードと言って、どこに中心点があるか分からない事になる。
分かりやすい例だと、
「前近代」ある教室に子ども達がいて、正面に監督がいる。授業中は我慢しているが、休み時間になると多いに騒ぎ、生き生きとしている。
「近代」同じ広さの教室だが、監督の姿は見えない。しかし背後にいるのが分かる。休み時間でも授業中でも、いるかいないか分からないので、結果的に子ども一人一人の内に監督が存在する様になる。自由がある故に、休み時間も遊べなくなる。

と言う様な例があります。
クラインのツボだとか色んな例があげられているのですが、全体を監視、規制する物が個々に内在化して、それがまた全体を監視すると言う循環する状態です。(脱コード)
□□□□□まとめ終わり

こう言う、各々を監視する文脈と構造の問題は、とても気にしている問題です。工芸に於いて、全体を統率する物があった状態と言うのは、(例えば宗教であったり王政であったりパトロンであったりする)とても指針が見えやすく、上昇しやすい状態に思う。
我々の祖父母くらいだと、その秩序が解体される前の余韻があって、無条件に良いとされるもの(例えば桐タンスとか藍染だとか漆の椀。勿論今も素晴らしいものだけれど)がある。

勿論、人は向上心を持っている限り向上していると思う。けれど、経済を大きく動かすと経営に成功していると言うだけで、それは価値とはまた別の話であって。それ以外の基準は本当に闇雲な気がしています。
この本にもあった通り、または多くの哲学者が言う様に、我々の志向を一つにする物は存在しない。しかし、作る事で、それを描く事で、最大公約数の人を幸せに、豊かに出来ると信ずる限りは大きな答えがあると信じたい。

とりあえず、古くからあり、合理性に純化した道具はそれに近づいていると思っているのですが。

みんな興味ないかなこう言うの。

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