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『工房からの風』一草一木について

今年も、工房からの風で、風人としてお手伝いさせて戴きます!!

今週末です。

工房からの風

日時:2018/10/13(土)・14(日)

10:00~16:30

会場:ニッケコルトンプラザ屋外会場

今年のテーマは、五行の木火土金水の木。一草一木をピックアップするとの事で、じっくりめ実演、デモンストレーションをします。

毎回思う事ですが、活躍する、錚々たる作家さんに囲まれて身の引き締まる思いです。

一草一木とは、期せずして自分が一番大切にしてきたテーマだと思います。

たくさんの物や情報が流れていく世界の中で、大切なものは何だろう。と、探し続けていました。豊かに、幸せに暮らすためには、本当はそんなにたくさんの物は必要なくて、心から大切に思える一つを見つける事こそ大事だと思っています。

一本の草、一本の木にも生命の循環があり、恵みがあり、宇宙がある。その豊かさに気づく為、手仕事に携わっているのだと思います。

例えるならば、今回出展してくれる作家の皆さんも一本の草、一本の木の様で…

各々、根付いた土地と大気の力を命の限り吸いこんで、身体に行き渡らせ、形にしている人達だと思います。自分の手と、そこから生み出されるものに身を委ねる恐怖と、希望と、背負っている重みは痛いほど分かるので、その一人一人がより本来の姿を結実できるよう、立ち回る風人でありたいと思います。

虚と装飾でつくるもの

今年は、中津箒みんなが忙しくて 初めて、がっつり畑の手伝いに来ています。

たまに身体を動かすと気持ちいいなー

子どもが小さくて、あまり長い本は読めないのだけれど、最近ハマったのがこちらの本でした。

「俳句という他界」関悦史

※お店のブログにも、レビュー書いた

書籍紹介ー「俳句という他界」関悦史さん(邑書林)

とっても面白かった。

主に書いてあるのは、俳句が持つ他界性について。

ブログは、お店の書籍紹介なのでその紹介程度なのですが、手仕事にも繋がる話だな。と、続きがあります。

◆俳句で開く他界

俳句ではしばしば、虚と実の問題があげられています。芭蕉の話でも「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚にあそぶ事はかたし」『本朝文選』

との事。

また、本の中では遊びについても語られています。かつての村の祭りの中では、神に扮して舞うという事がしばしばありました。お祭り好きなら知っているのですが、怖い神様もいるし、コミカルな神様もいます。よく考えてみれば、畏れるものや、信仰するものを真似たり、模倣するというのは大変な事で、かなりの遊び心(?)というには凄すぎるものがある様に思います。

ただ結局、その模倣する、という所に「虚」と「他界性」があるという話でした。

言葉は自然や世界を表現、文字に置き換える為のもので、抽象的な虚にあたるものです。更に季語となると自然を象徴するもの。座の共通言語として背景や文脈を膨大に蓄えた、更に抽象性の高い虚と言えるかと思います。

自らの体験を元に、虚を経由して、定型の中で真実に至る。座の文芸であり、常に他界に開かれている所に俳句の前衛性がある…という話でした。

◆虚飾と手仕事

虚と実、という話で言えば、手仕事で道具を作る、というのは、最も実に近いと感じます。器なら食べること、服なら着ること、プロセスそのもので、直結している。食事、という言葉より、食事を具体的に表現出来るのは器だと思います。

個人的にも実用性、という強さは本当に揺るぎないと思っていて、民具の類も、機能性、必然性という所を主に気にかけています。

そこでいつも、装飾、という事を気にしていました。虚飾、という言葉もあります。完璧に機能性を高めて、余分を削ぎ落とした道具があるとしたら、装飾の要素はないんじゃないの?というのがあって…ただ、こちらの稲垣さんの本の中にも書いてもらったのですが

工房からの風―作る・働く・暮らす・生きる20の工房を訪ねて-稲垣-早苗

装飾も機能。という風に自分は解釈していました。

道具には、自ずから機能があるけれど、その道具が人の暮らしに寄り添う為に、装飾や意匠がチューニングをしてくれる様な考え。

でも、装飾自体にも古代から長い歴史があって、そんなオプション的な扱いじゃいけないという思いも常にあり…この俳句の話を聞いて、勝手にスッキリした次第です。

実から離れる虚 は、無内容なものでは決してなくて、

・世界を遊ぶ事→自然を模倣したり、自然界にはないもの(簡単に言えば直線とか真円とか)を作り出して別の世界を打ち立てる事だったり

・更に、共通言語として他者を繋げる

という様な壮大な役割がある。世界を作る事。他界への道を開くこと。

神は細部に宿る。とか、言葉が一人歩きし過ぎてよく意味が分からないなーと思っていたのですが、細かな装飾・ディテールで何を遊んでいるのか、それは他界に通じているのか。

という事を思うようになりました。