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工房からの風

今週末は、いよいよ、工房からの風です。

http://www.kouboukaranokaze.jp

今年も、風人として、企画のお手伝いをさせて戴いています。

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いつも、災害や事故がある度に、イベントや展示の告知をためらう事があります。

台風は、範囲があまりに広すぎて、先が見えないのがすごく怖い。台湾でデモ隊が手製爆弾やカッターで人を傷つけ始めたニュースを聞いて、涙がでた。(武器を使い始めたら、本当に反撃されてしまう…)

東日本の地震の時もそうだったけど、あまりに自粛したりためらうのは違うと思っている。僕たちは、みんながいつもの幸せな暮らしを取り戻せることを信じているし、知る、調べる、動く、募金をする、など、出来る事はしているつもりだ。だから、みんなが安心を取り戻した時に世の中が静まり返っているより、華やかで、美しい世界で出迎えなくちゃいけないと思っている。

(その反面、仕事の手を止めて支援に行けるような人には、この上ない尊敬の念を持っています。)

僕たちは決して娯楽のための道具を作っているのではなくて、美しいものを美しいと感じたり、生きていてよかった、明日の喜びを見つけられるものを届けたいと思っている。非常時以外でも、悲しんでいる人がたくさんいる事も知っている。

だから、出来ることはしながら、馳せられる思いを馳せながら、いまよりもっと美しいと思えるものに触れられる世界を作って行きたいです。

日々懸命に、生きることに向かい合っている作家さん達の結晶のような展示会です。

そんな場所で、今年もお手伝い出来る事が本当に嬉しいです。

皆様のご来場、お待ちしております!

今年もよろしくお願いします。

なんだか仕事やら子どもの相手やら、年末年始と、全然投稿できず…2018年も、皆さま大変お世話になりました。

2019年も、よろしくお願い致します。

あまり意識的に語らないけれど、日本には年神信仰というのがあって、新しい年に人や、周囲に感謝する、祝福する、というのはすごくいい習慣だなーと思っています。

2018年最後に読み始めたのは森田亜紀さんの『芸術の中動態―受容/制作の基層』という本でした。

中動態というのは元々言語学の用語だそうですが、メルロ=ポンティなんかを元に芸術全般に応用しています。

能動態→受動態ではなく、ヨーロッパ語圏には動作自体が主体に働きかける時に使われる態があるそうで(すごく雑にいうと、「見る」ではなくて「見える」。とか、「変える」ではなくて「変わる」とかのニュアンスでしょうか)

開いてみて、難しい本かなーとも思ったのですが、短詩系に触れているとスムーズに意味は掴めますね。(主体や客体を敢えて省略するのはよくある事で)

文法上の分類じゃなくて、誰が主体なのかはよくよく考えたい。

「法案が通った」と一言いったって、議会が通したのか、国民が通したのか、時代が要請したのか、マジョリティが押し切ったのか。「通った」という自然に起こったような言い方もするから不思議です。

おそらく中動態のイメージは、手仕事をしている人にも比較的分かりやすい話で…自分1人の力で、なにか作っていると思っている人は、とても少ないんじゃないだろうか。素材の声を聞いたり、従ったり。先達の意志が背中を押してくれたり、自分だけじゃ抑えきれない衝動が、遠くまで連れていったりしてくれる。(んじゃないかと思っています)

作品を、

「全て自らの力で作り上げました。」

ではなくて、

「できました。」

と、作品が自ずと育ったようなニュアンスがあるのも、中動的だなー、とか、思います。

いまの仕事をして多くの方と繋がらせてもらっていて、色んな刺激をもらって、色んな機会やきっかけをもらっています。

できるだけ多くのものに耳を傾けながら、できるだけ多く、深いものと関われるような、一年でありたいです。

まだ詳細が出ていないものも多いですが、2月にはマルシェに出させてもらったり、4月以降は連続して展示会の予定もあります。

今年も、よろしくお願い申し上げます。